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自警録 / 第七章 譏謗に対する態度・悪口に対する理想的態度(2)

これを見たるクエーカー宗以外の人々も、私もクエーカー、私もクエーカーというものが多く、政府はその真偽を弁別するに苦しみ、一々その人の日ごろの行状を審査し、たとえクエーカー宗に入れるものにしても、日ごろその主義を完うせざるものは、無遠慮に罰し、日ごろの行状が正しく、徳望高き人は特に穏便に取扱い、戦時だけ自分に都合よき主義を唱えたとても、平生の行状がこれに伴わないものは、ただ一場の言い前に過ぎずとして採用されなかった。白隠和尚は日ごろ修養を積み、平生の言行が正しく聖人たる資格あることを証明したゆえ、一時疑いを受けたことも、数年ならずして解けたのである。 ゆえにかかる場合に身を処すること同一筆法に出ても、日ごろの修養如何によりてその価値が著しく違う。白隠の談は美事であるが、僕はこの筆法をすぐに各自に応用するを憚かる。しからば何ゆえにこの例を掲げたかというに、日ごろの行状を謹み、日常の信用を厚うするだけの慎みをなさねばならぬことを勧めたいからである。この点に謹慎し、修養していれば、一時いかなる非難非譏を受けたとても、何らの弁解を試みずして能く晴天白日の身となり得ると思う。悪口に対する吾人の理想的態度は無言実行の弁解をもってすべきであると思う。いかに人はかれこれいうとも己れさえ道を蹈むことを怠らずば、何の策を弄せずとも、いつの間にか黒白判然するものである。要は「本来清浄」を守るにある。さすれば人為人工を用うるに及ばぬ。かく思うと左の歌は教訓的に解しても面白い。 人住まぬ山里なれど春くれば柳はみどり花はくれなゐ

書き下し

これを見たるクエーカー宗以外の人々も、私もクエーカー、私もクエーカーというものが多く、政府はその真偽を弁別するに苦しみ、一々その人の日ごろの行状を審査し、たとえクエーカー宗に入れるものにしても、日ごろその主義を完うせざるものは、無遠慮に罰し、日ごろの行状が正しく、徳望高き人は特に穏便に取扱い、戦時だけ自分に都合よき主義を唱えたとても、平生の行状がこれに伴わないものは、ただ一場の言い前に過ぎずとして採用されなかった。白隠和尚は日ごろ修養を積み、平生の言行が正しく聖人たる資格あることを証明したゆえ、一時疑いを受けたことも、数年ならずして解けたのである。 ゆえにかかる場合に身を処すること同一筆法に出ても、日ごろの修養如何によりてその価値が著しく違う。白隠の談は美事であるが、僕はこの筆法をすぐに各自に応用するを憚かる。しからば何ゆえにこの例を掲げたかというに、日ごろの行状を謹み、日常の信用を厚うするだけの慎みをなさねばならぬことを勧めたいからである。この点に謹慎し、修養していれば、一時いかなる非難非譏を受けたとても、何らの弁解を試みずして能く晴天白日の身となり得ると思う。悪口に対する吾人の理想的態度は無言実行の弁解をもってすべきであると思う。いかに人はかれこれいうとも己れさえ道を蹈むことを怠らずば、何の策を弄せずとも、いつの間にか黒白判然するものである。要は「本来清浄」を守るにある。さすれば人為人工を用うるに及ばぬ。かく思うと左の歌は教訓的に解しても面白い。 人住まぬ山里なれど春くれば柳はみどり花はくれなゐ

現代語訳

これを見たクエーカー教徒以外の人々も、私もクエーカー、私もクエーカーと言い出す者が多く、政府はその真偽を見分けるのに苦しみ、一人一人の日ごろの行状を審査しました。たとえクエーカー教に入っている者でも、日ごろその主義を全うしていない者は遠慮なく罰し、日ごろの行状が正しく徳望の高い人は特に穏便に扱いました。戦時だけ自分に都合のよい主義を唱えても、平生の行状がこれに伴わない者は、ただの一場の言い分にすぎないとして採用されませんでした。白隠和尚は、日ごろ修養を積み、平生の言行が正しく、聖人たる資格のあることを証明していたからこそ、一時疑いを受けたことも、数年を経ずして解けたのです。 ですから、このような場合に同じ筆法で身を処しても、日ごろの修養のいかんによって、その価値が著しく違います。白隠の話は見事ですが、僕はこの筆法をすぐに各自に応用することをはばかります。それではなぜこの例を挙げたかといえば、日ごろの行状を慎み、日常の信用を厚くするだけの慎みをしなければならないと勧めたいからです。この点で慎み、修養していれば、一時どんな非難やそしりを受けても、何の弁解を試みなくとも、晴天白日の身となり得ると思います。悪口に対する私たちの理想的な態度は、無言実行の弁解であるべきだと思います。どれほど人があれこれ言おうとも、自分さえ道を踏むことを怠らなければ、何の策を弄さなくても、いつの間にか黒白がはっきりするものです。要は「本来清浄」を守ることにあります。そうすれば人為や人工を用いるには及びません。こう思うと、次の歌は教訓として解しても面白いものです。 人の住まない山里だけれど、春が来れば柳は緑に、花は紅に咲く

解説

南北戦争の続きで、私もクエーカーと名乗り出る者が増えた際、政府が日ごろの行状で真偽を見分けたという話です。主義を唱えても平生の行いが伴わなければ採用されない。新渡戸はここから、悪口への理想的な態度は無言実行の弁解だと結びます。引かれる歌は、人が見ていなくても春は柳が緑で花は紅だ、という趣意で、本来清浄を保てば作為は要らないという教えにつながります。平時の信用の貯金が、有事の最大の弁護になるという、組織にも通じる結論です。
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この章句が説くこと

無言実行日ごろの行状本来清浄信用黒白修養

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