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自警録 / 第七章 譏謗に対する態度・知らぬ人の批評には弁解が要らぬ

もっとも悪口でも右のごとく軽いものばかりと限らぬ。ときには念の入った、しかも非常に念入りのものもあり、中には道具立てした悪口もあり、数人かかって、それぞれ手を廻わし、こちらに罠をかけ、あちらに垣を結び、もって他を陥れんとする、手配り広き悪口もある。 こういう悪計にかかってはよほどの知者ならねば、とうていこれを免れられぬものである。しかし五人かかろうが、十人かかろうが、知恵を絞り出して吐く悪口は、つまりそれ以上の知恵さえあれば、ことごとくこれを無効ならしむることが出来る。しかし人の批評や悪口を取消すために、自分がそんなに骨折って知恵を運らす必要があるか、むろん悪口の種類にもよるが、同じく脳漿を絞るなら、悪口に対し弁護するよりもまだまだ適切な用途が多くあると思う。 僕もしばしば人から種々の批評を受け、家族や友人からこれを弁解するように勧められたこともあるが、僕よりも知恵のすぐれた人に対し、毀謗の理由は薄弱なりとしても、自分の受けた悪口を弁護すればするほど、ますます自分が言い負かされる。しからば僕よりも知恵の劣った人が悪口するなら、自分より劣ったものを相手とし、事々しく弁解する労を取るだけの価値がない。加之時日の進行中において自然に消滅する悪口と思えば、さほど気にかけることはない。ことに自分をよく知らぬものが、彼是批評することは、当を得ないことが多いから、自分を知れる人にその判断を任すれば事は足る。 四、五年前、ある青年が僕を訪ね来て、自分は非常に窮境に陥り衣服にも窮している、どうか助力を乞いたいと訴えたが、彼がその窮境に陥ったことの説明として世間はすべて自分を誤解したといったから、僕は彼の談を遮り、世間が君を誤解しても、君の知己が誤解しなければよいではないか。 世間とは君を知らぬ人の謂いである。君を知らぬ人がかれこれ批評することは、さほど意に介するに及ばぬ。失敬ながら君のことはいかなる事があったか知らぬが、よし新聞等に二、三回掲げられたことがあっても、僕ら別に耳にしたこともないし、したがって君に対して愛憎の念も何もない。すなわち君を知らぬわが輩は君のいわゆる世間であるが、わが輩は君を何とも思わぬといった。

書き下し

もっとも悪口でも右のごとく軽いものばかりと限らぬ。ときには念の入った、しかも非常に念入りのものもあり、中には道具立てした悪口もあり、数人かかって、それぞれ手を廻わし、こちらに罠をかけ、あちらに垣を結び、もって他を陥れんとする、手配り広き悪口もある。 こういう悪計にかかってはよほどの知者ならねば、とうていこれを免れられぬものである。しかし五人かかろうが、十人かかろうが、知恵を絞り出して吐く悪口は、つまりそれ以上の知恵さえあれば、ことごとくこれを無効ならしむることが出来る。しかし人の批評や悪口を取消すために、自分がそんなに骨折って知恵を運らす必要があるか、むろん悪口の種類にもよるが、同じく脳漿を絞るなら、悪口に対し弁護するよりもまだまだ適切な用途が多くあると思う。 僕もしばしば人から種々の批評を受け、家族や友人からこれを弁解するように勧められたこともあるが、僕よりも知恵のすぐれた人に対し、毀謗の理由は薄弱なりとしても、自分の受けた悪口を弁護すればするほど、ますます自分が言い負かされる。しからば僕よりも知恵の劣った人が悪口するなら、自分より劣ったものを相手とし、事々しく弁解する労を取るだけの価値がない。加之時日の進行中において自然に消滅する悪口と思えば、さほど気にかけることはない。ことに自分をよく知らぬものが、彼是批評することは、当を得ないことが多いから、自分を知れる人にその判断を任すれば事は足る。 四、五年前、ある青年が僕を訪ね来て、自分は非常に窮境に陥り衣服にも窮している、どうか助力を乞いたいと訴えたが、彼がその窮境に陥ったことの説明として世間はすべて自分を誤解したといったから、僕は彼の談を遮り、世間が君を誤解しても、君の知己が誤解しなければよいではないか。 世間とは君を知らぬ人の謂いである。君を知らぬ人がかれこれ批評することは、さほど意に介するに及ばぬ。失敬ながら君のことはいかなる事があったか知らぬが、よし新聞等に二、三回掲げられたことがあっても、僕ら別に耳にしたこともないし、したがって君に対して愛憎の念も何もない。すなわち君を知らぬわが輩は君のいわゆる世間であるが、わが輩は君を何とも思わぬといった。

現代語訳

もっとも、悪口といっても右のように軽いものばかりとは限りません。ときには念入りな、しかも非常に念入りなものもあり、中には道具立てを整えた悪口もあり、数人がかりでそれぞれ手を回し、こちらに罠をかけ、あちらに垣を結んで、他人を陥れようとする、手配りの広い悪口もあります。 こういう悪だくみにかかっては、よほどの知者でなければ、とうてい免れることはできません。しかし五人でかかろうが十人でかかろうが、知恵を絞り出して吐く悪口は、つまりそれ以上の知恵さえあれば、ことごとく無効にすることができます。しかし人の批評や悪口を取り消すために、自分がそんなに骨を折って知恵を巡らす必要があるでしょうか。もちろん悪口の種類にもよりますが、同じく頭を絞るなら、悪口に対して弁護するよりも、もっと適切な使い道が多くあると思います。 僕もしばしば人からさまざまな批評を受け、家族や友人からそれを弁解するよう勧められたこともありますが、僕よりも知恵のすぐれた人に対しては、そしりの理由が薄弱であっても、自分が受けた悪口を弁護すればするほど、ますます言い負かされます。では、僕よりも知恵の劣った人が悪口を言うのなら、自分より劣った者を相手に、ことごとしく弁解の労を取るだけの価値がありません。そのうえ、時日の経過のうちに自然に消える悪口だと思えば、さほど気にかけることはありません。ことに、自分をよく知らない者があれこれ批評することは、的を射ないことが多いのですから、自分をよく知る人にその判断を任せれば、それで足ります。 四、五年前、ある青年が僕を訪ねて来て、自分は非常に窮境に陥り、衣服にも困っている、どうか助力を乞いたいと訴えました。彼がその窮境に陥ったことの説明として、世間はすべて自分を誤解したと言ったので、僕は彼の話を遮り、世間が君を誤解しても、君の知己が誤解しなければよいではないか、と言いました。 世間とは、君を知らない人のことだ。君を知らない人があれこれ批評することは、さほど気にするには及ばない。失礼ながら、君のことはどんなことがあったのか知らないが、たとえ新聞などに二、三回載ったことがあっても、僕らは別に耳にしたこともないし、したがって君に対して愛憎の念も何もない。つまり、君を知らないわれわれは君のいわゆる世間だが、われわれは君のことを何とも思っていない、と言いました。

解説

念入りな中傷には、知恵で対抗すれば無効にできるが、弁解に脳を使うより他にもっと適切な使い道がある、と新渡戸は言います。さらに、世間とは自分を知らない人のことだと突き放し、判断は自分をよく知る人に任せればよいと説きます。窮状を世間の誤解のせいにする青年への返答として語られるのが、いかにも率直です。炎上や社内の評判でも、知らない人への釈明に消耗するより、近い人への誠実さに力を注ぐ方が、実際の信頼には効きます。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

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本の中身を見る

この章句が説くこと

弁解世間知己中傷時間自分をよく知る人

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