囲炉夜話 / 第二百二十二則・肯て人に下れば終に能く人に上る
欲利己,便是害己。肯下人,終能上人。
書き下し
己を利せんと欲するは、便ち是れ己を害するなり。肯て人に下れば、終に能く人に上る。
現代語訳
自分の得ばかりを図ることは、そのまま自分を害することです。進んで人にへりくだることができれば、最後には人の上に立つことができます。
解説
利己と謙下の逆説を、短く言い切った対句です。上の句は、自分だけの利益を求めることが、結局は自分を損なうと言います。人の信用を失い、恨みを招き、心も狭くなるからです。下の句は、人の下に立つことを厭わない人が、最後には人の上に立つと言います。『老子』の、江や海が多くの谷の王となれるのは低い所にあるからだ、という考えに通じます。低い所に水が集まるように、へりくだる人のもとに人が集まり、自然と押し上げられるのです。上に立つ立場の人ほど、何度も読み返したい句です。
この章句が説くこと
謙虚利己謙譲老子処世
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荀子・宥坐篇孔子、魯の桓公の廟に観る。欹器(きき)有り。孔子、廟を守る者に問いて曰く、「此れ何の器と為すか」と。廟を守る者曰く、「此れ蓋し宥坐(ゆうざ)の器と為す」と。孔子曰く、「吾聞く、宥坐の器なる者は、虚なれば則ち欹(かたむ)き、中なれば則ち正しく、満つれば則ち覆(くつがえ)ると」と。孔子顧みて弟子に謂いて曰く、「水を注げ」と。弟子、水を挹(く)みて之に注ぐ。中にして正しく、満ちて覆り、虚しくして欹く。孔子、喟然(きぜん)として歎じて曰く、「吁(ああ)、悪(いずく)んぞ満ちて覆らざる者有らんや」と。子路曰く、「敢えて問う、満を持するに道有りや」と。孔子曰く、「聡明聖知なるも、之を守るに愚を以てし、功、天下を被うも、之を守るに譲を以てし、勇力、世を撫するも、之を守るに怯を以てし、富、四海を有つも、之を守るに謙を以てす。此れ所謂(いわゆる)挹(く)みて之を損する道なり」と。
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人物志・釋爭卑讓降下は、茂進の遂ぐる路なり。矜奮侵陵は、毀塞の険しき途なり。
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