囲炉夜話 / 第二百十七則・本分の人は即ち是れ快活の人
穩當話,卻是平常話,所以聽穩當話者不多。 本分人,即是快活人,無奈做本分人者甚少。
新字:穏当話,却是平常話,所以聴穏当話者不多。 本分人,即是快活人,無奈做本分人者甚少。
書き下し
穩當の話は、卻つて是れ平常の話なり、所以に穩當の話を聽く者多からず。 本分の人は、即ち是れ快活の人なり、奈んともする無し本分の人と做る者甚だ少なし。
現代語訳
穏当な話は、かえって平凡な話です。だから穏当な話に耳を傾ける人は多くありません。本分を守る人は、そのまま心から楽しく生きる人です。けれども、残念なことに本分を守る人になる者はとても少ないのです。
解説
地味だけれど確かなものが好まれない、という世の常を嘆く対句です。上の句は、筋の通った穏当な話は、どうしても当たり前に聞こえるので、耳を傾ける人が少ないと言います。人は目新しい話や極端な話に引かれるものです。下の句の本分の人とは、自分の分をわきまえ、務めを果たして余計な欲を持たない人です。そういう人こそ、心にやましさがなく快活に生きられると言います。無奈とは、残念ながらという嘆きの言葉です。派手な成功談よりも、地に足のついた助言と生き方に目を向けたくなる句です。
この章句が説くこと
本分平常快活処世中庸
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