囲炉夜話 / 第百三十六則・靜敬の人を益すること大なるかな
程子教人以靜,朱子教人以敬。靜者,心不妄動之謂也。 敬者,心常惺惺之謂也。又況靜能延壽,敬則日強。 為學之功在是,養生之道亦在是。靜敬之益人大矣哉,學者可不務乎?
新字:程子教人以静,朱子教人以敬。静者,心不妄動之謂也。 敬者,心常惺惺之謂也。又況静能延寿,敬則日強。 為学之功在是,養生之道亦在是。静敬之益人大矣哉,学者可不務乎?
書き下し
程子は人に教ふるに靜を以てし、朱子は人に教ふるに敬を以てす。靜とは、心妄りに動かざるの謂ひなり。 敬とは、心常に惺惺たるの謂ひなり。又況んや靜は能く壽を延べ、敬は則ち日に強し。 學を爲すの功は是に在り、生を養ふの道も亦た是に在り。靜敬の人を益すること大なるかな、學ぶ者務めざるべけんや?
現代語訳
程子(北宋の程顥・程頤兄弟)は人に静を教え、朱子(南宋の朱熹)は人に敬を教えました。静とは、心がみだりに動かないことを言います。敬とは、心がいつも目覚めてはっきりしていることを言います。そのうえ、静は寿命を延ばし、敬は日ごとに人を強くします。学問の工夫はここにあり、養生の道もまたここにあります。静と敬が人を益することは、なんと大きいことでしょう。学ぶ者は努めずにいられるでしょうか。
解説
宋学の二つの修養の要、静と敬をまとめて勧めた則です。程子の門では静坐が重んじられ、朱子はそれを受けつつ、敬をいっそう修養の中心に据えました。静は心がむやみに揺れ動かないこと、敬は心がいつも惺惺、つまり目覚めてはっきりしていることだと定義されます。惺惺の語は宋の儒者が敬を説くのに用いたもので、敬日強は礼記の、君子は荘敬なれば日に強し、を踏まえます。著者は、静と敬が学問の工夫であると同時に、長寿や健康を保つ養生の道でもあると言い、心と体を一つながりに見ています。今日でも、心を落ち着けて一つのことに集中する時間は、仕事の質を上げるだけでなく、体の疲れを減らしてくれます。静かに、しかし目覚めて、という心の持ち方です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
静敬朱子学養生修身
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