囲炉夜話 / 第二百十一則・天道は還るを好む
誤用聰明,何若一生守拙。濫交朋友,不如終日讀書。 伍子胥報父兄之仇而郢都滅,申包胥救君上之難而楚國存,可知人心足恃也。 秦始皇滅東周之歲而劉季生,梁武帝滅南齊之年而侯景降,可知天道好還也。
新字:誤用聰明,何若一生守拙。濫交朋友,不如終日読書。 伍子胥報父兄之仇而郢都滅,申包胥救君上之難而楚国存,可知人心足恃也。 秦始皇滅東周之歳而劉季生,梁武帝滅南斉之年而侯景降,可知天道好還也。
書き下し
聰明を誤用するは、何ぞ一生拙を守るに若かん。濫りに朋友に交はるは、終日書を讀むに如かず。 伍子胥は父兄の仇に報いて郢都滅び、申包胥は君上の難を救ひて楚國存す、人心の恃むに足るを知る可きなり。 秦始皇東周を滅ぼすの歲にして劉季生まれ、梁武帝南齊を滅ぼすの年にして侯景降る、天道の還るを好むを知る可きなり。
現代語訳
聡明さを使い誤るくらいなら、一生不器用を守るほうがどれほどましでしょうか。むやみに友と交わるくらいなら、一日中本を読んでいるほうがよいのです。伍子胥が父と兄の仇を討とうとして楚の都の郢は滅び、申包胥が主君の危難を救おうとして楚の国は存続しました。このことから、人の心が頼みになることが分かります。秦の始皇帝が東周を滅ぼした年に劉季(劉邦)が生まれ、梁の武帝が南斉を滅ぼした年に侯景が生まれました。このことから、天の道は巡り巡って報いを返すことが分かります。
解説
三つの対句から成る、この書でも長めの則です。最初の一対は、才を誤って使うより拙を守れ、むやみに交わるより書を読めと、身近な戒めを述べます。二つ目は春秋時代の楚の話です。伍子胥は父と兄を楚王に殺され、呉に逃れて楚を攻め、都の郢を陥れました。申包胥は秦に援軍を求めて楚を救ったと伝えられます。一人の強い心が国を滅ぼしも救いもするので、人心は恃むに足ると言います。三つ目は、国を滅ぼした年に、やがてその国を滅ぼす人物が生まれたという話で、天道の報いが巡ることを示します。一人の意志の重さと報いの確かさを、歴史から読み取らせる則です。
この章句が説くこと
因果天道守拙読書史話
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『驢鞍橋』卷上扨亦心の改まる事は、因果の道理を守りたるか好き也。喩へば人我を憎むとも、我人を恨むへからす。なにが無理に人我を憎むべし、我に此因果こそ有るらん。まだ如何なる因果か有らんと思ふて我を責むべし。万事因果次第也と守つて、分別の仕置すべからず。扨も分別の仕置用に立たぬ物也。去年忠弥正雪の悪党共分別さへ能くすれは、分別の儘に成ると心得、呑込んだやうに思ひ、謀叛を企て、忽ち殺されたり。なにが天道が許してこそ。総して物毎分別次第に成る物に非す、皆天道次第に成る物也。好く是れを守れは大に心の改まる事也。
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、抑、因果とて、よきあしき時のあるも、公案を尽して見るに、ただめづらしき、めづらしからぬの二つなり。おなじ上手にておなじ能を、昨日今日見れども、おもしろやと見えつる事の、今またおもしろくもなき時のあるは、昨日おもしろかりつる心ならひに、今日はめづらしからぬによりて、わるしと見るなり。その後またよき時のあるは、先にわるかりつるものをと思ふ心、まためづらしきに還りて、おもしろくなるなり。されば、この道をきはめをはりて見れば、花とて別にはなきものなり。奥義をきはめて、よろづにめづらしき理をわれと知るならでは、花はあるべからず。経にいはく、善悪不二、邪正一如とあり。本来より、よきあしきとは何をもて定むべきや。ただ時によりて用足る物をばよき物とし、用足らぬをあしき物とす。この風体の品々も、当世の衆人諸所にわたりて、その時のあまねき好みによりて取出す風体、これ用足る為の花なるべし。ここにこの風体をもてあそめば、かしこにまた余の風体を賞翫す。これ、人々心々の花なり。いづれをまこととせんや。ただ時に用ゆるをもて花と知るべし。
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荀子・大略篇凡そ物は乗じて来たる有り。其の出づるに乗ずる者は、是れ其の反(かへ)りなり。
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説苑・權謀孔子齊景公と坐す。左右白して曰く、「周使來りて廟燔くと言ふ」と。齊景公出でて問ひて曰く、「何の廟ぞや」と。孔子曰く、「是れ釐王の廟なり」と。景公曰く、「何を以て之を知る」と。孔子曰く、「詩に云ふ、『皇皇たる上帝、其の命忒はず』と。天の人に與するや、必ず徳有るに報ゆ。禍も亦た之の如し。夫れ釐王は文武の制を變じて玄黃の宮室を作り、輿馬奢侈にして振ふべからず。故に天其の廟に殃す。是を以て之を知る」と。景公曰く、「天何ぞ其の身に殃せずして其の廟に殃するや」と。子曰く、「天は文王の故を以てなり。若し其の身に殃せば、文王の祀、無乃ち絶えんか。故に其の廟に殃して以て其の過を章かにす」と。左右入りて報じて曰く、「周の釐王の廟なり」と。景公大いに驚き、起ちて拜して曰く、「善き哉、聖人の智、豈に大ならざらんや」と。