囲炉夜話 / 第二百五則・賢人の橫逆に處するの方
顏子之不校,孟子之自反,是賢人處橫逆之方。 子貢之無諂,原思之坐弦,是賢人守貧窮之法。
新字:顔子之不校,孟子之自反,是賢人処横逆之方。 子貢之無諂,原思之坐弦,是賢人守貧窮之法。
書き下し
顏子の校せざる、孟子の自ら反みる、是れ賢人の橫逆に處するの方なり。 子貢の諂ふ無き、原思の坐して弦する、是れ賢人の貧窮を守るの法なり。
現代語訳
顔回が人から害を受けても仕返ししなかったこと、孟子が理不尽な扱いを受けて自分を振り返ったことは、賢人が理不尽に対処する方法です。子貢が貧しくてもへつらわなかったこと、原思が貧しい中で座って琴を弾いていたことは、賢人が貧しさの中で身を守る方法です。
解説
理不尽と貧しさへの向き合い方を、四人の例で示す対句です。顔子の不校は『論語』泰伯篇の「犯されて校いず」、つまり害されても報復しないことです。孟子の自反は離婁篇の、理不尽な扱いを受けたらまず自分に非がないかを顧みよという教えです。子貢の無諂は学而篇の「貧しくして諂ふ無し」、原思は孔子の弟子原憲のことで、貧しい家で端座して琴を弾き歌っていたと伝えられます。ここでの不校や自反は、不正を受け入れることではなく、怒りに任せて報復せず、自分の足元を確かめる度量のことです。
この章句が説くこと
忍寛容安貧論語自省
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