囲炉夜話 / 第百九十四則・富貴も淫する能はず
意趣清高,利祿不能動也。志量遠大,富貴不能淫也。
新字:意趣清高,利禄不能動也。志量遠大,富貴不能淫也。
書き下し
意趣清高なれば、利祿も動かす能はざるなり。志量遠大なれば、富貴も淫する能はざるなり。
現代語訳
心の向かうところが清らかで高ければ、利益や俸禄もその心を動かすことはできません。志の器が遠く大きければ、富や地位もその心を乱すことはできません。
解説
心の高さと志の大きさが、外からの誘惑を退けると説く対句です。意趣とは、心の向かうところ、好みや趣きのことです。それが清らかで高い人は、利益や禄で釣られても動きません。下の句は『孟子』滕文公篇の「富貴も淫する能はず、貧賤も移す能はず、威武も屈する能はず」の一句目を受けています。淫とは、ここでは心を乱し節度を失わせることです。誘惑に打ち勝つ力を、我慢の強さではなく、心の向きと志の大きさに求めている点が大切です。もっと大きなものを見ていれば、目先の利は自然と小さく見えます。
この章句が説くこと
志富貴清廉孟子修身
関連する章句
-
孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
-
荀子・大略篇公行子之(こうこうしし)、燕(えん)に之(ゆ)き、曾元(そうげん)に塗(みち)に遇(あ)ひて曰く、「燕君(えんくん)は何如(いかん)」と。曾元曰く、「志(こころざし)卑(ひく)し。志卑き者は物を軽んじ、物を軽んずる者は助けを求めず。苟(いやしく)も助けを求めずんば、何ぞ能(よ)く挙(あ)がらん。氐羌(ていきょう)の虜(とりこ)たるや、其の係累(けいるい)せらるるを憂へずして、其の焚(や)かれざるを憂ふ。夫(か)の秋毫(しゅうごう)を利として、国家を害(そこな)ひ靡(ほろぼ)す、然も且(か)つ之を為す、幾(あ)に知計(ちけい)を為すと為さんや」と。
-
史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
-
論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
-
葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。