囲炉夜話 / 第百八十八則・一の恕の字は是れ接物の要
一信字是立身之本,所以人不可無也。 一恕字是接物之要,所以終身可行也。
書き下し
一の信の字は是れ立身の本なり、所以に人無かる可からざるなり。 一の恕の字は是れ接物の要なり、所以に終身行ふ可きなり。
現代語訳
「信」の一字は身を立てる根本です。だから人はこれを欠いてはなりません。「恕」の一字は人と接するときの要です。だから一生行い続けることができます。
解説
信と恕という二つの徳を、自分を立てる本と人に接する要として並べた句です。上の句は、『論語』為政篇の「人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり」を思わせます。約束を守り言葉に実があることが、世の中で立つための土台だと言います。下の句は、『論語』衛霊公篇で子貢が一生行うべき一言を問い、孔子が「其れ恕か」と答えた話を踏まえています。恕とは、自分がされて嫌なことを人にしない思いやりです。信は自分の内を固め、恕は人との間を和らげるもので、二つで人としての縦糸と横糸がそろいます。
この章句が説くこと
信恕立身論語修身
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