囲炉夜話 / 第百八十六則・哽に因りて食を廢す
偶緣為善受累,遂無意為善,是因哽廢食也。 明識有過當規,卻諱言有過,是護疾忌醫也。
新字:偶縁為善受累,遂無意為善,是因哽廃食也。 明識有過当規,却諱言有過,是護疾忌医也。
書き下し
偶々善を為すに緣りて累を受け、遂に善を為すに意無きは、是れ哽に因りて食を廢するなり。 明らかに過有りて當に規すべきを識りて、卻つて過有るを言ふを諱むは、是れ疾を護りて醫を忌むなり。
現代語訳
たまたま善いことをして迷惑をこうむったからといって、それきり善いことをする気をなくしてしまうのは、むせたのを理由に食事をやめてしまうようなものです。過ちがあって正すべきだとはっきり分かっていながら、かえって過ちがあると言われるのを嫌がるのは、病気をかばって医者を避けるようなものです。
解説
善行と改過をやめてしまう二つの心理を、たとえで戒める対句です。上の句の因哽廃食は、一度むせたからといって食事をやめるという意味で、よく知られた因噎廃食と同じ喩えです。人を助けて面倒に巻き込まれた経験から、善意そのものを捨ててしまう心をそれになぞらえています。下の句の護疾忌医は、病を隠して医者にかかるのを嫌がることで、過ちの指摘を嫌う心の喩えです。どちらも、一時の痛みを避けるために、もっと大きなものを失っている点が共通しています。親切が裏目に出たときや、耳の痛い指摘から逃げたくなったときに思い出したい言葉です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
改過善行忠告修身処世
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