囲炉夜話 / 第百八十四則・效を桑榆に收む
夙夜所為,得無抱慚於衾影。光陰已逝,尚期收效於桑榆。
新字:夙夜所為,得無抱慚於衾影。光陰已逝,尚期収効於桑榆。
書き下し
夙夜の為す所、衾影に慚を抱く無きを得んや。光陰已に逝く、尚ほ效を桑榆に收めんことを期す。
現代語訳
朝から晩までの行いに、夜具や自分の影に対して恥じるところがないと言えるでしょうか。時はすでに過ぎ去ってしまいましたが、それでも晩年に成果を収めたいと願います。
解説
自分の行いを省み、残りの時間に望みをつなぐ句です。衾影とは夜具と影のことで、「独り行きては影に愧ぢず、独り寝ては衾に愧ぢず」という古語を踏まえ、人の見ていない所での行いを言います。誰も見ていない所まで含めて振り返ると、恥じるところがないとは言い切れない、という率直な自省です。桑楡とは夕日が桑や楡の梢にかかる頃のことで、晩年を指します。「之を東隅に失ひ、之を桑楡に収む」という言葉のとおり、若い頃に失ったものも晩年に取り返せると望みをつなぎます。遅すぎることはないという励ましとして、年を重ねた人にこそ響く句です。
この章句が説くこと
自省晩年慎独光陰修身
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