囲炉夜話 / 第百七十五則・陽明は末流を救ふ
紫陽補大學格致之章,恐人誤入虛無,而必使之即物窮理,所以維正教也。 陽明取孟子良知之說,恐人徒事記誦,而必使之反己省心,所以救末流也。
新字:紫陽補大学格致之章,恐人誤入虚無,而必使之即物窮理,所以維正教也。 陽明取孟子良知之説,恐人徒事記誦,而必使之反己省心,所以救末流也。
書き下し
紫陽は大學格致の章を補ひ、人の虛無に誤入するを恐れて、必ず之をして物に即きて理を窮めしむ、正教を維ぐ所以なり。 陽明は孟子良知の說を取り、人の徒らに記誦を事とするを恐れて、必ず之をして己に反りて心を省みしむ、末流を救ふ所以なり。
現代語訳
紫陽(朱熹)は『大学』の格物致知の章を補って書きました。人が虚無の思想に誤って入り込むのを恐れ、必ず物事に即してその理を窮めさせようとしたのです。それは正しい教えを守るためでした。陽明(王守仁)は『孟子』の良知の説を取り上げました。人がただ暗記と暗誦に明け暮れるのを恐れ、必ず自分に立ち返って心を省みさせようとしたのです。それは学問の末流の弊害を救うためでした。
解説
朱子学と陽明学を対立ではなく、それぞれの時代の病への処方として並べた則です。朱熹は『大学』に格物致知の説明が欠けていると考え、自ら補伝を書いて、事物に即して理を窮めることを説きました。仏教や老荘の虚無に流れるのを防ぐためだと著者は見ます。王陽明は『孟子』の良知を掲げ、自分の心に立ち返ることを説きました。朱子学が暗記の学に堕ちた末流を救うためだと見ます。一方は外へ、一方は内へと向きは逆でも、どちらも弊害を正すための工夫だったという公平な見方です。方法の対立も、それが何を防ごうとしたかを見れば、両方から学べます。
この章句が説くこと
朱子学陽明学格物良知学問
関連する章句
-
人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
-
言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
-
歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
-
論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
-
説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。