囲炉夜話 / 第百六十九則・身に反りて醇謹と為る
人稱我善良,則喜。稱我兇惡,則怒。 此可見兇惡非美名也,即當立志為善良。 我見人醇謹,則愛。見人浮躁,則惡。 此可見浮躁非佳士也,何不反身為醇謹。
新字:人称我善良,則喜。称我兇悪,則怒。 此可見兇悪非美名也,即当立志為善良。 我見人醇謹,則愛。見人浮躁,則悪。 此可見浮躁非佳士也,何不反身為醇謹。
書き下し
人我を善良と稱すれば、則ち喜ぶ。我を兇惡と稱すれば、則ち怒る。 此れ兇惡の美名に非ざるを見る可し、即ち當に志を立てて善良と為るべし。 我人の醇謹なるを見れば、則ち愛す。人の浮躁なるを見れば、則ち惡む。 此れ浮躁の佳士に非ざるを見る可し、何ぞ身に反りて醇謹と為らざる。
現代語訳
人から善良だと言われれば喜び、凶悪だと言われれば怒ります。このことから、凶悪が良い呼び名でないことは明らかですから、すぐにでも志を立てて善良な人になるべきです。自分は、人が誠実で慎み深いのを見れば好ましく思い、人が浮ついて落ち着きがないのを見れば嫌に思います。このことから、浮ついた人が立派な人でないことは明らかですから、どうして自分に立ち返って誠実で慎み深い人にならないのでしょうか。
解説
自分の好き嫌いを、そのまま自分を正す物差しにする則です。前半は、人からどう呼ばれたいかを手がかりにします。善良と言われて喜び、凶悪と言われて怒るなら、どちらが良いかは自分でも分かっているのだから、善良になる志を立てよと言います。後半は、他人をどう見ているかを手がかりにします。醇謹とは飾りけがなく慎み深いこと、浮躁とは浮ついて落ち着かないことです。人の浮躁を嫌うなら、自分がそうでないかを振り返れと言います。前半は他人の目、後半は自分の目を使って、同じ結論に導く構成です。他人に苛立った瞬間を、自分を点検する機会に変える工夫です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
自省善良慎み修身反省
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