囲炉夜話 / 第百六十三則・傳ふるに足るは德有るに在り
人之足傳,在有德,不在有位。世所相信,在能行,不在能言。
新字:人之足伝,在有徳,不在有位。世所相信,在能行,不在能言。
書き下し
人の傳ふるに足るは、德有るに在りて、位有るに在らず。世の相信ずる所は、能く行ふに在りて、能く言ふに在らず。
現代語訳
人が後世に伝えられるに値するのは、徳があるからであって、地位があるからではありません。世の人が信じるのは、実行できるからであって、口がうまいからではありません。
解説
何が人を残し、何が人を信じさせるかを示す対句です。上の句は、後の世まで語り継がれる人の条件を、地位ではなく徳に置きます。高い官職にあった人も多くは忘れられ、名もない人の善行が長く語られることがあるからです。下の句は、同時代の人々から信用される条件を、言葉ではなく実行に置きます。上が時間を越えて残るもの、下が今ここで信じられるものを扱い、どちらも外側の飾りを退けています。肩書きや話のうまさで人を動かそうとしても長くは続かない、という今の組織にもそのまま通じる教えです。
この章句が説くこと
徳信用実行名声修身
関連する章句
-
『墨子』修身彊からざれば智達せず、言信ならざる者は行果たさず。財に據りて以て人に分かつ能わざる者は、與に友とするに足らず。道を守ること篤からず、物に徧きこと博からず、是非を辯ずること察かならざる者は、與に遊ぶに足らず。本固からざる者は末必ず㡬うく、雄にして脩めざる者は其の後必ず惰る。源濁れば流れ清からず、行い信ならざれば名必ず耗る。名は徒らに生ぜず、而して譽は自ら長ぜず。功成り名遂ぐるも、名譽は虚假す可からず、之を身に反す者なり。言を務めて行を繁くすれば、辯なりと雖も必ず聴かれず。力多くして功を伐れば、勞すと雖も必ず圖られず。慧き者は心辯にして繁説せず、力多くして功を伐らず。此を以て名譽、天下に揚がる。言は多きを為すを務めずして智を為すを務め、文を為すを務めずして察を為すを務む。故に彼の智、察無く、身に在りて情、其の路に反する者なり。善、心に主たること無き者は留まらず、行、身に辯たること無き者は立たず。名は簡にして成る可からざるなり、譽は巧みにして立つ可からざるなり。君子は身を以て行を戴く者なり。利を思うこと尋ぎ、名を忘るること忽やかにして、以て天下に士為る可き者は、未だ嘗て有らざるなり。
-
『驢鞍橋』卷下一日、去る者来て曰く、何某和尚は、道者と云はれ給ふか、又此頃は悪名世間に語り伝ふと云ふ。師聞て曰く、左も無くして、人に道者と貴はれたる咎遁れ難かるへし。天道是れを許さんや。夫れほど又世間に耻を曝らして、その報ひを返さで叶はす。或は機違ひ、或は死苦病苦强かるへし。総じて徳無くして人に貴はるゝ程の咎なし。又曰く、天然と通力抔有り、奇特の業を作す性は、悪の性、化物性也。たとひ通有りとも、一悪をも断替かする為めにも成るへからす、心は人に易らすして人に貴はるゝこと、大なる咎也。
-
『十善法語』巻第六・不惡口戒其要ハ。徳高ケレハ弥慎マネハナラヌ。此謹慎ノ処ニ自ラ利シ他ヲ利スル。孔子ノ言ニ。加我数年。五十以学易。可以無大過矣トアル。名高ケレハ弥慎マネハナラヌ。此謹慎ノ処ニ天ノ助ヲ得ル。古人ノ言ニ。大名ノ下久居ヘカラストアル。年長スレハ弥慎マネハナラヌ。此謹慎ノ処ニ無病延寿ガアル。魯ノ機氾ト云者老テ益恭ヲ守ル。魯君告ク。子七十ナレハ恭ヲヤムヘシト。氾答フ。君子ハ恭ヲ以テ名ヲ成ス。小人ハ恭ヲ以テ身ヲ全スト。功大ナレハ弥慎マネハナラヌ。此謹慎ノ処ニ威名ヲ全スル。老子経ニ功成名遂身退。天之道トアル。
-
『驢鞍橋』卷上夜話の次て去る人一言法談に、大善知識も徳大なるは後世の怨也と有りと云ふ。師聞て曰、然るべき事也。得法の人も善き事には楽み有るべし、何としても宝と成らんず。一言法談には殊勝の事有りけるよ。我好き事を聞きたりと也。
-
『呻吟語』内篇・修身・有道の言と有德の言有道の言は、之を心悟に將ふ。有德の言は、之を躬行に得。有道の言は弘暢なり、有德の言は親切なり。有道の言は萬貨の肆に遊ぶが如く、有德の言は萬貨の商を發するが如し。有道者は言はざるを容れず、有德者は言を俟つ無し。然りと雖も、未だ嘗て言はずんばあらず。故に曰く、「德有る者は必ず言有り」と。
-
『正法眼蔵随聞記』巻三作すことの難きにはあらず、能くすることの難きなり、出離得道の行は人ごとに心にかけたるには似たれとも、能くする人まれなればなり、生死事大なり、無常迅速なり、心を緩くすることなかれ、世を捨ては実とに世を捨つべきなり、仮名はいかにてもありなんとおぼゆるなり、