囲炉夜話 / 第百五十八則・苟の字を犯せば振ふ能はず
人犯一苟字,便不能振。人犯一俗字,便不可醫。
新字:人犯一苟字,便不能振。人犯一俗字,便不可医。
書き下し
人一の苟の字を犯せば、便ち振ふこと能はず。人一の俗の字を犯せば、便ち醫す可からず。
現代語訳
人が「苟(いいかげん)」の一字に陥ると、もう奮い立つことができません。人が「俗(卑しさ)」の一字に陥ると、もう治しようがありません。
解説
前の則に続いて、一字で人の病を言い当てる句です。苟とは、その場しのぎで間に合わせること、いいかげんに済ませることです。これが習いになると、気力を奮って立ち上がることができなくなると言います。俗とは、世間の損得や流行にばかり心が向き、志の低いことです。こちらはさらに重く、医者でも治せないとまで言います。苟は行いの緩み、俗は心の低さで、前者は気を引き締めれば戻れても、後者は自分で気づきにくいからでしょう。忙しさを理由にその場しのぎを重ねると、いつの間にか志そのものが低くなる、という順序で読むこともできます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
苟且俗志修身気力
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