囲炉夜話 / 第百五十一則・煙雲は乃ち富貴の幻形
山水是文章化境。煙雲乃富貴幻形。
書き下し
山水は是れ文章の化境なり。煙雲は乃ち富貴の幻形なり。
現代語訳
山や川は、文章が極まって自然と一つになった境地そのものです。煙や雲は、富貴がたちまち移ろう幻の姿を映したものです。
解説
自然の景色を二つの面から読む短い対句です。上の句の化境とは、技巧の跡が消えて自然に溶け込んだ最高の境地を言います。優れた文章は山水のように作為が見えず、山水はそのまま天地の書いた文章だという見方です。下の句は、湧いては消える煙や雲を、富貴のはかなさを映す姿として見ています。同じ自然を前にして、一方には学ぶべき手本を、もう一方には執着を戒める鏡を見出しているのです。散歩の途中に眺める景色からも、仕事の手本と自分の欲への戒めを同時に受け取ることができる、という心の構えを教えてくれる句です。
この章句が説くこと
富貴無常文章自然処世
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