囲炉夜話 / 第六十五則・遊覽の處は皆な師友なり
觀朱霞悟其明麗,觀白雲悟其卷舒,觀山嶽悟其靈奇,觀河海悟其浩瀚,則俯仰間皆文章也。 對綠竹得其虛心,對黃華得其晚節,對松柏得其本性,對芝蘭得其幽芳,則遊覽處皆師友也。
新字:観朱霞悟其明麗,観白雲悟其巻舒,観山嶽悟其霊奇,観河海悟其浩瀚,則俯仰間皆文章也。 対緑竹得其虚心,対黄華得其晩節,対松柏得其本性,対芝蘭得其幽芳,則遊覧処皆師友也。
書き下し
朱霞を觀て其の明麗を悟り、白雲を觀て其の卷舒を悟り、山嶽を觀て其の靈奇を悟り、河海を觀て其の浩瀚を悟れば、則ち俯仰の間は皆な文章なり。 綠竹に對して其の虛心を得、黃華に對して其の晚節を得、松柏に對して其の本性を得、芝蘭に對して其の幽芳を得れば、則ち遊覽の處は皆な師友なり。
現代語訳
赤い朝焼けや夕焼けを見てその明るい美しさを悟り、白い雲を見てその巻いたり広がったりする自在さを悟り、山々を見てその霊妙で奇抜な姿を悟り、川や海を見てその広大さを悟るならば、見上げ見下ろすあいだのすべてが文章となります。青い竹に向かってはその中の空いた虚心を学び、黄色い菊に向かってはその晩年の節操を学び、松や柏に向かってはその変わらぬ本性を学び、霊芝や蘭に向かってはそのひそやかな香りを学ぶならば、遊び歩くところのすべてが師であり友となります。
解説
自然の景物すべてを文章の手本、生き方の師友と見る、詩情豊かな一則です。前半は霞、雲、山、海から、明るさ、自在さ、奇抜さ、広大さという文章の美質を学べと言います。俯仰の間は、見上げ見下ろすあいだ、つまり身の回りすべてのことです。後半は植物で、竹は中が空であることから虚心、黄華すなわち菊は霜の季節に咲くことから晩節、松柏は冬も緑を保つことから本性、芝蘭は人目につかず香ることから幽芳を学ぶとします。松柏は『論語』子罕篇の歳寒の句で知られます。散歩の景色も、見る目があれば学びの場になるという教えです。
この章句が説くこと
自然師友虚心晩節修身
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