菜根譚 / 後集
鷽花茂而山濃谷艷,縂是乾坤之幻境。水木落而石瘦崕枯,纔見天地之真吾。
新字:鷽花茂而山濃谷艶,縂是乾坤之幻境。水木落而石痩崕枯,纔見天地之真吾。
書き下し
鶯花茂りて山濃く谷艶なるは、総て是れ乾坤の幻境なり。水木落ちて石痩せ崖枯るるは、纔(はじ)めて天地の真吾を見る。
現代語訳
鶯が鳴き花が茂り、山が濃く谷が艶やかなのは、みな天地の幻の境地である。水が涸れ木が落ち、石が痩せ崖が枯れて、初めて天地の本当の姿を見る。
解説
華やかで美しい時期は、しばしば本質を覆い隠す「幻」のようなものです。本当にそのものの姿が見えてくるのは、飾りがなくなり、すべてが剥がれ落ちた、枯れた状態の時。これは人にも当てはまります。順調で輝かしい時は、その人の真価は測り難いものですが、困難や逆境に直面し、すべてを失った時にこそ、その人の本当の強さや人間性が現れるのです。表面的なものに惑わされず、本質を見極める視点を与えてくれます。
この章句が説くこと
鶯花茂而山濃谷艶総是乾坤之幻境水木落而石痩崖枯纔見天地之真吾循環逆境無常
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