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囲炉夜話 / 第百五則・煙雲の眼を過ぐるがごとし

權勢之徒,雖至親亦作威福,豈知煙雲過眼,已立見其消亡。 奸邪之輩,即平地亦起風波,豈知神鬼有靈,不肯聽其顛倒。

新字:権勢之徒,雖至親亦作威福,豈知煙雲過眼,已立見其消亡。 奸邪之輩,即平地亦起風波,豈知神鬼有霊,不肯聴其顛倒。

書き下し

權勢の徒は、至親と雖も亦た威福を作す、豈に知らんや煙雲の眼を過ぐるがごとく、已に立ちどころに其の消亡を見ることを。 奸邪の輩は、即ち平地にも亦た風波を起こす、豈に知らんや神鬼靈有りて、其の顛倒を聽すを肯んぜざることを。

現代語訳

権勢をふるう者は、ごく近い身内に対してさえ威張り散らします。けれども、煙や雲が目の前を過ぎ去るように、たちまちその滅びを目にすることになるのを知らないのです。よこしまな者は、何もない平地にさえ波風を立てます。けれども、神霊には霊験があって、その者が是非をひっくり返すのを許さないことを知らないのです。

解説

権勢をかさに着る者と、よこしまに騒ぎを起こす者の末路を示した則です。作威福とは、自分の思うままに人を威圧したり恩を着せたりすることで、身内にまでそうするのは権力に酔った姿です。しかし権勢は煙や雲のように、あっという間に消えてしまいます。後半の平地起風波は、何事もないところにわざわざ争いを起こすことです。神鬼有霊は当時の信仰の言い方ですが、要は、白黒を逆さまにするような企みは長くは通らないということでしょう。権力も策略も一時のものにすぎない、という点で二句はつながっています。今日でも、立場を笠に着たふるまいや、ことさらに騒ぎを起こす人は、やがて自分の足元を崩していきます。

この章句が説くこと

権勢奸邪因果無常処世

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この一句を、あなたの毎日に。

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