囲炉夜話 / 第百四十三則・其の百爲皆假なるを知るべし
勢利人裝腔做調,都只在體面上鋪張,可知其百為皆假。 虛浮人指東畫西,全不向身心內打算,定卜其一事無成。
新字:勢利人装腔做調,都只在体面上鋪張,可知其百為皆仮。 虚浮人指東画西,全不向身心内打算,定卜其一事無成。
書き下し
勢利の人の腔を裝ひ調を做すは、都て只だ體面の上に在りて鋪張す、其の百爲皆假なるを知るべし。 虛浮の人の東を指し西を畫くは、全く身心の內に向かひて打算せず、定めて其の一事も成る無きを卜す。
現代語訳
権勢や利益ばかり追う人が、もったいぶった口ぶりや態度をとるのは、どれもただ体面の上で見栄を張っているだけです。そのすることなすことがみな偽りだとわかります。浮ついた人があちらを指しこちらを描くようにあれこれ言うのは、まったく自分の身と心の内に向けて考えていないのです。きっと一つのことも成し遂げられないと見通せます。
解説
勢利の人と虚浮の人という二つの型を、口語まじりの生き生きした言葉で描いた則です。装腔做調は、声色を作り調子をつけること、つまり偉そうに振る舞うことで、それが体面、すなわち見栄の上だけで繰り広げられていると言います。後半の指東画西は、あちこち指さして話があちこちに飛ぶさまで、口ばかりで自分の内を省みない人を指します。打算はここでは計算高さではなく、自分のこととして考えるという意味です。前半は見せかけの偉さ、後半は見せかけの賢さで、どちらも外に向けた演技で内が空っぽだという点でつながっています。今日の職場にも、肩書きを振りかざす人や、話は大きいのに手を動かさない人がいます。自分がそうなっていないか、ときどき内を振り返りたくなる則です。
この章句が説くこと
虚浮体面見栄自省修身
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