囲炉夜話 / 第百三十則・川は海を學びて海に至る
川學海而至海,故謀道者,不可有止心。 莠非苗而似苗,故窮理者,不可無真見。
新字:川学海而至海,故謀道者,不可有止心。 莠非苗而似苗,故窮理者,不可無真見。
書き下し
川は海を學びて海に至る、故に道を謀る者は、止心有るべからず。 莠は苗に非ずして苗に似たり、故に理を窮むる者は、真見無かるべからず。
現代語訳
川は海を慕って流れ続け、ついに海に至ります。だから道を求める者は、立ち止まる心を持ってはいけません。はぐさは稲の苗ではないのに苗に似ています。だから道理を究める者は、真実を見抜く目を持たなければなりません。
解説
川と莠という二つの自然の比喩で、学ぶ者の持続と見識を説いた則です。前半は揚雄の法言に、百川は海を学びて海に至る、とある言葉を踏まえ、川が海を目指して流れを止めないように、道を求める者も歩みを止めるなと言います。後半の莠は、稲の苗によく似た雑草のはぐさで、孟子尽心下篇に、莠を悪むは其の苗を乱すを恐るればなり、と見えます。本物に似た偽物を見分ける目がなければ、理を究めることはできないというのです。前半は歩み続ける力、後半は見分ける力で、学ぶ者に必要な二つの資質が自然の姿で示されています。今日でも、学びを途中で止めない粘りと、もっともらしい情報を見抜く目は、どちらが欠けても本物にはたどり着けません。
この章句が説くこと
学問持続見識窮理読書
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