囲炉夜話 / 第百二十八則・但だ此の心の過ぎ得去るを求む
處事有何定憑,但求此心過得去。 立業無論大小,總要此身做得來。
新字:処事有何定憑,但求此心過得去。 立業無論大小,総要此身做得来。
書き下し
事に處するに何の定憑か有らん、但だ此の心の過ぎ得去るを求む。 業を立つるに大小を論ずる無く、總て此の身の做し得來るを要す。
現代語訳
物事に対処するのに、何の決まった拠りどころがあるでしょうか。ただこの心に恥じずにいられることを求めるだけです。仕事を立てるのは、大きいか小さいかを問わず、とにかくこの身でやり遂げられることが大切です。
解説
判断の拠りどころと仕事の選び方を、心と身の二字で示した則です。前半の過得去は口語で、心に照らして後ろめたくない、納得できるという意味です。事に処するのに決まった規則はなく、自分の良心に照らして恥じないかどうかだけが基準だと言います。後半の做得来も口語で、実際にやり遂げられることを言います。事業は規模の大小ではなく、自分の力で確かにやり遂げられるかどうかが肝心だというのです。前半は心の納得、後半は身の実行で、どちらも外の基準や見栄えではなく、自分の内から確かめられるものを拠りどころにしています。今日でも、規則や前例を探して迷うより、自分の良心に問う方が早く決められることがあります。仕事も、大きさより、やり切れるかどうかで選ぶのが確かです。
この章句が説くこと
良心実行立業修身処世
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