囲炉夜話 / 第百二十七則・身を持するは嚴厲なるを貴ぶ
處事要寬平,而不可有鬆散之弊。 持身貴嚴厲,而不可有激切之形。
新字:処事要寛平,而不可有鬆散之弊。 持身貴厳厲,而不可有激切之形。
書き下し
事に處するは寬平なるを要す、而も鬆散の弊有るべからず。 身を持するは嚴厲なるを貴ぶ、而も激切の形有るべからず。
現代語訳
物事に対処するには寛大で公平であることが必要ですが、だらしなく締まりのない弊害があってはいけません。自分の身を保つには厳しさを尊びますが、激しく思いつめた様子が表に出てはいけません。
解説
寛と厳という二つの徳それぞれに、行き過ぎの落とし穴を示した則です。前半は、事に処するには寛平、つまり寛大で偏りなくあるべきだが、それが鬆散、つまりゆるんで締まりのない状態になってはいけないと言います。後半は、自分を律するには厳しさが大切だが、それが激切、つまり激しく張り詰めた様子として外に表れてはいけないと言います。寛大さはだらしなさと、厳しさはとげとげしさと紙一重であることを見抜いた言葉です。人には寛く自分には厳しく、しかもそのどちらも度を越さない、という中庸の感覚がこの則の要です。今日でも、寛容なつもりの上司が単に甘いだけになったり、自分に厳しい人が周りを息苦しくさせたりすることがあります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
寛容厳格中庸修身処世
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