囲炉夜話 / 第百二十二則・迂拙の人は猶ほ正直たるを失はず
正而過則迂,直而過則拙,故迂拙之人,猶不失為正直。 高或入於虛,華或入於浮,而虛浮之士,究難指為高華。
新字:正而過則迂,直而過則拙,故迂拙之人,猶不失為正直。 高或入於虚,華或入於浮,而虚浮之士,究難指為高華。
書き下し
正にして過ぐれば則ち迂、直にして過ぐれば則ち拙、故に迂拙の人は、猶ほ正直たるを失はず。 高きは或いは虛に入り、華は或いは浮に入る、而して虛浮の士は、究に指して高華と爲し難し。
現代語訳
正しさが過ぎれば回りくどくなり、まっすぐさが過ぎれば不器用になります。だから回りくどく不器用な人も、なお正直であることを失っていません。高尚さはときに空疎に入り込み、華やかさはときに浮薄に入り込みます。けれども空疎で浮薄な人を、結局のところ高尚で華やかだと指すことはできません。
解説
美徳が行き過ぎたときの姿を比べ、どちらの欠点が許されるかを見極めた則です。正しさが過ぎると迂、つまり融通がきかず回りくどくなり、まっすぐさが過ぎると拙、つまり不器用になります。それでも迂拙な人は、根に正直さを持っているので見捨てられないと言います。ところが高尚さが過ぎると虚、華やかさが過ぎると浮になり、そうなった人はもはや高尚とも華やかとも呼べないというのです。同じ行き過ぎでも、正直の行き過ぎは根が残り、高華の行き過ぎは根まで失う、という非対称が鋭いところです。今日でも、融通のきかない真面目な人は愛され続けますが、見栄えだけを追った人は中身のなさが露わになると信頼を失います。欠点を選ぶなら、正直の側で転ぶ方がよいのです。
この章句が説くこと
正直迂拙虚浮中庸修身
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