囲炉夜話 / 第百十七則・志は高からざるべからず
志不可不高,志不高,則同流合汙,無足有為矣。 心不可太大,心太大,則舍近圖遠,難期有成矣。
新字:志不可不高,志不高,則同流合汚,無足有為矣。 心不可太大,心太大,則舎近図遠,難期有成矣。
書き下し
志は高からざるべからず、志高からざれば、則ち流れを同じくし汙れに合はせ、有爲に足る無し。 心は太だ大なるべからず、心太だ大なれば、則ち近きを舍てて遠きを圖り、成ること有るを期し難し。
現代語訳
志は高くなければなりません。志が高くなければ、世の風潮に流され汚れに染まって、何かを成し遂げるには足りません。心はあまりに大きすぎてはいけません。心が大きすぎると、身近なことを捨てて遠くのことばかり図り、成果を期待しにくくなります。
解説
志の高さと心の大きさを区別し、前者は求め、後者は戒めた則です。前半の同流合汚は孟子尽心下篇に見える言葉で、世俗の流れに合わせて汚れに染まることです。志が低いとそうなってしまい、何事も成せないと言います。後半は、心が大きすぎる、つまり夢ばかり大きい人は、手近な務めを捨てて遠くのことばかり考えるので、何も形にならないと言います。高い志と足元の実行は矛盾せず、むしろ両方がそろってはじめて事が成る、というのがこの則の要点です。今日でも、目標を持たずに周りに流される人と、壮大な構想ばかり語って目の前の仕事をしない人は、どちらも成果を出せません。志は高く、手は近くに、という心得です。
この章句が説くこと
志実行修身大局勤勉
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