囲炉夜話 / 第百一則・語言深刻なるは終に福薄の人と爲る
氣性乖張,多是夭亡之子。語言深刻,終為福薄之人。
新字:気性乖張,多是夭亡之子。語言深刻,終為福薄之人。
書き下し
氣性乖張なるは、多くは是れ夭亡の子なり。語言深刻なるは、終に福薄の人と爲る。
現代語訳
気性がひねくれて強情な者は、多くは若死にする子です。言葉が辛辣で容赦のない者は、結局は福の薄い人となります。
解説
前の則に続いて、気性と言葉が人の運命を左右すると説いた則です。乖張とは性格がねじけて我を張ることで、そういう人は争いを起こしやすく、身を損なって長生きできないと言います。深刻はここでは、言葉が鋭く人の急所を突き、思いやりがないことを指します。そういう言葉を使う人は人に恨まれ、助けを得られず、福が薄くなるというのです。夭亡や福薄という言い方は当時の因果の考えを背景にしていますが、要は、荒い気性と刺す言葉は自分に返ってくるということでしょう。前半は命、後半は福を扱い、内なる気性と外への言葉がそれぞれ人生をすり減らすという対になっています。今日でも、正論を容赦なくぶつける人は、正しくても孤立しがちです。言い方ひとつで、自分の運も変わるのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
気性言葉因果福処世
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