囲炉夜話 / 第九十八則・聖人は悲憫を以て心と爲す
君子以名教為樂,豈如嵇阮之逾閑。聖人以悲憫為心,不取沮溺之忘世。
新字:君子以名教為楽,豈如嵇阮之逾閑。聖人以悲憫為心,不取沮溺之忘世。
書き下し
君子は名教を以て樂しみと爲す、豈に嵇阮の閑を逾ゆるが如くならんや。聖人は悲憫を以て心と爲し、沮溺の世を忘るるを取らず。
現代語訳
君子は礼教の中に楽しみを見いだします。どうして嵇康や阮籍のように節度を踏み越えることがあるでしょうか。聖人は人々への哀れみを心とし、長沮や桀溺のように世を忘れて隠れることをよしとはしません。
解説
世を捨てた自由人と、世に関わり続ける君子・聖人とを比べた則です。嵇康と阮籍は魏晋の竹林の七賢に数えられる人で、礼教に縛られない放縦な振る舞いで知られます。名教は儒教の名分と礼のことで、世説新語には、名教の中にもおのずから楽しみの場がある、という楽広の言葉が伝わります。長沮と桀溺は論語微子篇に出る隠者で、世を逃れることを孔子に勧めましたが、孔子は人と共に生きる道を選びました。前半は楽しみの置き場所、後半は心の向け先を扱い、どちらも世の外ではなく世の中にとどまる姿勢を示しています。今日でも、組織や社会から離れて自由を求めたくなるときがあります。けれども、人への思いやりを持って関わり続ける中にこそ、深い楽しみがあると著者は言います。
この章句が説くこと
名教悲憫隠逸仁処世
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