囲炉夜話 / 第六十三則・德澤の淺深を察す
觀規模之大小,可以知事業之高卑。 察德澤之淺深,可以知門祚之久暫。
新字:観規模之大小,可以知事業之高卑。 察徳沢之浅深,可以知門祚之久暫。
書き下し
規模の大小を觀れば、以て事業の高卑を知るべし。德澤の淺深を察すれば、以て門祚の久暫を知るべし。
現代語訳
構えの大小を見れば、その事業の高低が分かります。徳の恵みの浅い深いを察すれば、その家の福運が長く続くか短く終わるかが分かります。
解説
事業と家の行く末を見抜く二つの物差しを示した対句です。規模は、ここでは事を始めるときの構えや計画の大きさ、志の広さのことです。最初の構えが小さければ、事業もそれ以上には伸びないと言います。後半の門祚は、家に受け継がれる福運のことです。家が長く続くかどうかは、財産の多さではなく、どれだけ人に徳の恵みを及ぼしてきたかで分かるとします。前半は事業の高さ、後半は家の長さを測る基準で、どちらも目に見える成果より、根にあるものを見よという点で共通します。新しい仕事を始めるときの志の大きさと、日頃の人への恵みが、将来を決めるのです。
この章句が説くこと
徳沢志家訓事業積善
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