囲炉夜話 / 第五十五則・魚を羨むは何ぞ網を結ぶに如かん
圖功未晚,亡羊尚可補牢。虛慕無成,羨魚何如結網。
新字:図功未晩,亡羊尚可補牢。虚慕無成,羨魚何如結網。
書き下し
功を圖るに未だ晚からず、羊を亡ひて尚ほ牢を補ふべし。虛しく慕ふも成る無し、魚を羨むは何ぞ網を結ぶに如かん。
現代語訳
手柄を立てようと図るのに遅すぎることはありません。羊を失ってからでも、まだ囲いを繕うことができます。むなしくあこがれるだけでは何も成りません。魚をうらやむより、網を編むほうがよいのです。
解説
二つの有名な故事成語を使って、行動を促す対句です。亡羊補牢は『戦国策』楚策に見える話で、羊に逃げられてから囲いを直しても、まだ遅くはないという意味です。失敗した後でも、手を打てば取り返せると励まします。羨魚結網は『漢書』董仲舒伝などに見える言葉で、淵に臨んで魚をうらやむより、帰って網を編むほうがよいというたとえです。あこがれるだけでなく、手段を整えよということです。前半はもう遅いという諦めを、後半はただ眺めるだけの憧れを戒めていて、どちらも今から手を動かせという点で一致しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
改過実行準備亡羊補牢努力
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