囲炉夜話 / 第五十四則・人は能く天地の闕を補ふ
天有風雨,人以宮室蔽之;地有山川,人以舟車通之。 是人能補天地之闕也,而可無為乎? 人有性理,天以五常賦之;人有形質,地以六谷養之。 是天地且厚人之生也,而可自薄乎?
書き下し
天に風雨有り、人は宮室を以て之を蔽ふ。地に山川有り、人は舟車を以て之を通ず。 是れ人は能く天地の闕を補ふなり、而して為す無かるべけんや。 人に性理有り、天は五常を以て之に賦す。人に形質有り、地は六谷を以て之を養ふ。 是れ天地すら且つ人の生を厚くするなり、而して自ら薄くすべけんや。
現代語訳
天には風雨がありますが、人は家屋によってそれを防ぎます。地には山や川がありますが、人は舟や車によってそこを行き来します。これは人が天地の欠けたところを補うことができるということで、何もせずにいてよいでしょうか。人には本性と道理があり、天は五常(仁・義・礼・智・信)をもってそれを授けています。人には体があり、地は六種の穀物によってそれを養っています。これは天地でさえ人の生を手厚くしているということで、自分で自分を粗末にしてよいでしょうか。
解説
天地と人の関係を、人が天地を補う面と、天地が人を厚くする面から述べた対句です。前半は、風雨を家で防ぎ、山川を舟車で越えるように、人には天地の欠けを補う力があるのだから、何もしないでいてはならないと言います。後半は、天は人に仁義礼智信の五常という本性を、地は六穀という食を与えて人を養っているのだから、自分を粗末にしてはならないと説きます。六穀は稲や黍など六種の穀物のことです。人は天地から厚く受け取り、その分だけ天地に働き返す存在だという人間観です。自分を大切にすることと世の中に働きかけることは一続きだと教えています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
天地五常自重修身有為
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『初学訓』巻之一一天地の生ずる所人を貴とす。是仁義礼智の五常の性をうけて、人倫の道あり。是人の万物にすぐれてたふとき所なり。此五常をうしなふべからず。これを失へば、天地にそむきて人にあらず。そのうへ、人は天地の生ずる五穀のよき味、鳥獣魚介のうまき肉を食ひて身を養ひ、布帛をあたたかに著家に居て、風寒暑湿をふせぎて身をやすんず。衣食家居の養は、父母主君の恩によれりといへども、其本は皆天地の生じ出せるたまものなり。されば、人は、かくのごとく天地のきはまりなき御めぐみを受くること、万物にすぐれたり。かかる大恩をうけて知らざるは、むげにおろかなり。天恩を忘れて、人と斯く生れたる身の貴き理をいたづらになすは、口をし。
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『大和俗訓』巻之一・為学上およそ人は天地の万物をうみそだて給ふ御めぐみの心を以て心とす。此心を名づけて仁と云ふ。仁は人の心に天より生れつきたる本性なり。仁の理は、人をめぐみ物をあはれむを徳とす。此仁の徳をたもち失はずして、天地のうみ給へる人倫をあつく愛し、次に鳥獣草木をあはれみて、天地の人と万物を愛し給ふ御心にしたがひ、天地の御めぐみの力を助くるを以て、天地につかへ奉る道とす。これすなはち人の道とする所にして仁なり。仁の理をわかてば仁義となり、仁義をわかてば礼智信となる。五の性をすべて五常といふ。たとへば、一年をわかてば陰陽となり、又わかてば春夏秋冬の四時となるが如し。仁は五常をすべて其惣名なり。五常は人に生れつきたる理なれば、五性といふ。
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一父母我を産めりといへども、其生をうけし初は、天地の気をとりて生ず。是天地は、生の本なり。其上、むまれて後、いとけなきより身ををはるまで、天地の養をうけ、天地の生ずる物を、食とし、衣とし、家とし、器として、身をやしなふ。天地の性をうけ、五常の徳を心にむまれつきて、万物の霊となり、天地の内にすみて、天地のあつき恵をうく。生をうけし初より、身ををはるまで、天地の恩をうけし事、かくの如し。かかる大恩あることを悟りて、身ををはるまで天地につかへ奉りて、孝を行ひ、其きはまりなき徳に報いんことを思ふべし。是人間の一大事なり。故にたびたびくりかへして言ふなり。
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『五常訓』巻之二・仁之上一およそ人は、かりそめの一飯の恩、一物の恵をうけてだに、其心に銘じて忘れざるべき理なるに、かほど極りなき天地の大恩をうけながら、それを悟らずして、はかなき世の習ひに迷ひて、天道にそむき、人道を行はず、其大恩の万一をも報ぜずして、身ををはりなん事、いと口をし。たとひ不幸にして、聖賢の書を読まずとも、天をいただき、地をふみ、其中にむまれながら、かほどの事は、其是非をわきまふべきことにこそ侍べれ。況や少しばかりにても、古の聖賢のふみを読みたる人、此理をわきまへざらんは、いとはかなくこそ聞ゆめれ。されば我も人も、天地の恵によりて生れ、天地の内に身をよせ、天地の養をうけ、天地の心をうけながら、天地の心にそむき、天地の道を知らず、天地の財をつひやし、天地の物をそこなひて、日々に天地に背けるわざをのみ行ひ、天地につかへ奉ることを知らで、一生の間、夢見るが如酒に酔へるが如く、まよひて悟らず、此身終りて、草木禽獣と同じく朽ちなん事は、人と生れたるかひなし。
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『五常訓』巻之一・総論一およそ人となれる者は、天の大徳をうけて生れ、其心に生れつきたるものあり。名づけて性と云ふ。是即天地の万物を生じ給ふ大徳の生理なる故に、性の字、心にしたがひ、生にしたがふ。此性の内、おのづから五の徳あり。名づけて五常と云ふ。古今天下の人、たかきいやしき、さかしおろかなる、皆おしなべて、此五の徳を生れつきて、心にそなはれる事、古今かはることなし。ここを以て五の常と云ふ。常とはかはらざるを云ふ。此五常の性は、人の人となれる理にして、人の万物にすぐれて貴く、禽獣にかはれる所ここにあり。此五の性にしたがへば、五倫の道是より行はれて、人道是によりて立つ。故に天下の道理是より出て、道の本根とす。故におよそ人たる者、此理を知らずんばあるべからず。
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