囲炉夜話 / 第五十一則・一分を求むれば便ち一分を得
天地無窮期,光陰則有窮期。去一日,便少一日。 富貴有定數,學問則無定數。求一分,便得一分。
新字:天地無窮期,光陰則有窮期。去一日,便少一日。 富貴有定数,学問則無定数。求一分,便得一分。
書き下し
天地は窮まる期無く、光陰は則ち窮まる期有り。一日去れば、便ち一日を少く。 富貴は定數有り、學問は則ち定數無し。一分を求むれば、便ち一分を得。
現代語訳
天地には終わる時がありませんが、人の月日には終わりがあります。一日過ぎれば、それだけ一日減るのです。富貴には定まった分がありますが、学問には定まった分がありません。一分を求めれば、それだけ一分を得られます。
解説
時間と学問という、限りあるものと限りないものを対比した対句です。天地は永遠でも、一人の人生の光陰には限りがあり、一日過ぎれば一日減ると言います。当たり前のことですが、これを実感できるかどうかで、一日の使い方が変わります。後半は、富貴には天の定めがあって求めても得られるとは限らないが、学問には定めがなく、求めた分だけ確実に得られるとします。一分は、わずかな量のことです。限りある時間を、求めれば必ず得られるものに注げという勧めです。成果が運に左右されがちな仕事の中でも、学びだけは裏切らないという励ましとして読めます。
この章句が説くこと
学問光陰富貴読書勤勉
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