囲炉夜話 / 第百三十三則・常に某人の德業我に勝ると思へば自ら慚づべし
常思某人境界不及我,某人命運不及我,則可以自足矣。 常思某人德業勝於我,某人學問勝於我,則可以自慚矣。
新字:常思某人境界不及我,某人命運不及我,則可以自足矣。 常思某人徳業勝於我,某人学問勝於我,則可以自慚矣。
書き下し
常に某人の境界は我に及ばず、某人の命運は我に及ばずと思へば、則ち以て自ら足るべし。 常に某人の德業は我に勝り、某人の學問は我に勝ると思へば、則ち以て自ら慚づべし。
現代語訳
いつも、あの人の境遇は自分に及ばない、あの人の運命は自分に及ばない、と思えば、自分に満足することができます。いつも、あの人の徳と事業は自分にまさる、あの人の学問は自分にまさる、と思えば、自分を恥じることができます。
解説
人と比べるときの向きを、境遇と徳で使い分けよと説いた則です。境遇や運命については、自分より恵まれない人を思えば、今の自分に満足できると言います。一方、徳や学問については、自分よりすぐれた人を思えば、恥じて努める心が起こると言います。比べる相手を、暮らしの面では下に、心の面では上に取るという使い分けで、前の則の、完全を求める心と足るを知る心の使い分けとも通じます。比較そのものは避けられなくても、向きを誤れば不満か慢心を生み、向きを正せば満足と向上心を生むのです。今日でも、人の暮らしぶりをうらやんで落ち込み、人の努力には目を向けない、という逆の比べ方をしがちです。比べる相手の選び方しだいで、心の向きはずいぶん変わります。
この章句が説くこと
知足自省比較謙虚修身
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