囲炉夜話 / 第四十二則・兵の應ずる者は勝つ
敵加於己,不得已而應之,謂之應兵,兵應者勝。 利人土地,謂之貪兵,兵貪者敗。此魏相論兵語也。 然豈獨用兵為然哉?凡人事之成敗,皆當作如是觀。
新字:敵加於己,不得已而応之,謂之応兵,兵応者勝。 利人土地,謂之貪兵,兵貪者敗。此魏相論兵語也。 然豈独用兵為然哉?凡人事之成敗,皆当作如是観。
書き下し
敵の己に加はり、已むを得ずして之に應ずる、之を應兵と謂ふ、兵の應ずる者は勝つ。 人の土地を利とする、之を貪兵と謂ふ、兵の貪る者は敗る。此れ魏相の兵を論ずるの語なり。 然れども豈に獨り兵を用ふるのみ然りと為さんや。凡そ人事の成敗は、皆な當に是くの如き觀を作すべし。
現代語訳
敵が自分に攻めかかり、やむを得ずこれに応じて戦うのを応兵と言い、応じて戦う軍は勝ちます。人の土地を欲しがって攻めるのを貪兵と言い、貪る軍は敗れます。これは魏相が戦を論じた言葉です。しかし、どうして戦だけがそうなのでしょうか。およそ人の世の事の成功と失敗は、みなこのように見るべきです。
解説
魏相は前漢の宣帝の宰相で、匈奴を討とうとする議論を諫めた上書の中で、兵を義兵、応兵、忿兵、貪兵、驕兵などに分けて論じたことが『漢書』に見えます。この則はそのうち応兵と貪兵を取り上げ、やむを得ず応じる戦は勝ち、欲に駆られた戦は敗れるとします。著者はこれを戦だけの話にせず、人の世の成否すべてに当てはめよと言います。欲から仕掛けた争いや無理な拡大は足をすくわれ、筋の通った受けて立つ姿勢には理と支持が集まるということです。商売や交渉でも、仕掛ける動機が欲か必要かを見きわめることが、成否を分けると教えています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
兵法貪欲成敗義魏相
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