囲炉夜話 / 第十五則・須臾の不忍
莫大之禍,起於須臾之不忍,不可不謹。
書き下し
莫大の禍は、須臾の忍びざるに起こる、謹まざるべからず。
現代語訳
計り知れない大きな災いは、ほんのわずかな間こらえられなかったことから起こります。慎まないわけにはいきません。
解説
大きな災いの始まりは、ほんの一瞬の我慢のなさにあるという一則です。須臾は、ごく短い時間のことです。怒りにまかせた一言、ついかっとなって取った行動が、取り返しのつかない結果を生むことは、昔も今も変わりません。前の則が他人の激情への対し方を説いたのに対し、こちらは自分の中の激情を戒めています。ここで言う忍は、理不尽を黙って受け入れることではなく、怒りの勢いのまま動かないことです。腹が立ったときは返信や発言を一呼吸置く、その短い間の自制が、大きな禍を防ぐ最も手軽な工夫になります。
この章句が説くこと
忍自制怒り禍慎み
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