法華経 / 分別功德品第十七(7)
「阿逸多,若我滅後,聞是經典,有能受持,若自書、若教人書,則為起立僧坊,以赤栴檀、作諸殿堂三十有二,高八多羅樹,高廣嚴好,百千比丘、於其中止,園林、浴池,經行、禪窟,衣服、飲食,床褥、湯藥,一切樂具、充滿其中,如是僧坊、堂閣、若干百千萬億,其數無量,以此現前、供養於我、及比丘僧。是故我說,如來滅後,若有受持、讀誦、為他人說,若自書、若教人書,供養經卷,不須復起塔寺,及造僧坊、供養眾僧。況復有人能持是經,兼行布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧,其德最勝,無量無邊,譬如虛空、東西南北、四維、上下、無量無邊,是人功德,亦復如是無量無邊,疾至一切種智。若人讀誦受持是經,為他人說,若自書、若教人書,復能起塔,及造僧坊、供養讚歎聲聞眾僧,亦以百千萬億讚歎之法、讚歎菩薩功德,又為他人、種種因緣,隨義解說此法華經,復能清淨持戒,與柔和者而共同止,忍辱無瞋,志念堅固,常貴坐禪、得諸深定,精進勇猛、攝諸善法,利根智慧、善答問難。」 「阿逸多,若我滅後,諸善男子、善女人,受持讀誦是經典者,復有如是諸善功德,當知是人、已趨道場,近阿耨多羅三藐三菩提,坐道樹下。阿逸多,是善男子、善女人,若坐、若立、若經行處,此中便應起塔,一切天人、皆應供養如佛之塔。」
新字:「阿逸多,若我滅後,聞是経典,有能受持,若自書、若教人書,則為起立僧坊,以赤栴檀、作諸殿堂三十有二,高八多羅樹,高広厳好,百千比丘、於其中止,園林、浴池,経行、禅窟,衣服、飲食,床褥、湯薬,一切楽具、充満其中,如是僧坊、堂閣、若干百千万億,其数無量,以此現前、供養於我、及比丘僧。是故我説,如来滅後,若有受持、読誦、為他人説,若自書、若教人書,供養経巻,不須復起塔寺,及造僧坊、供養衆僧。況復有人能持是経,兼行布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧,其徳最勝,無量無辺,譬如虚空、東西南北、四維、上下、無量無辺,是人功徳,亦復如是無量無辺,疾至一切種智。若人読誦受持是経,為他人説,若自書、若教人書,復能起塔,及造僧坊、供養讃嘆声聞衆僧,亦以百千万億讃嘆之法、讃嘆菩薩功徳,又為他人、種種因縁,随義解説此法華経,復能清浄持戒,与柔和者而共同止,忍辱無瞋,志念堅固,常貴坐禅、得諸深定,精進勇猛、摂諸善法,利根智慧、善答問難。」 「阿逸多,若我滅後,諸善男子、善女人,受持読誦是経典者,復有如是諸善功徳,当知是人、已趨道場,近阿耨多羅三藐三菩提,坐道樹下。阿逸多,是善男子、善女人,若坐、若立、若経行処,此中便応起塔,一切天人、皆応供養如仏之塔。」
書き下し
「阿逸多、若し我が滅後に、是の経典を聞きて、能く受持すること有り、若しは自ら書き、若しは人をして書かしめば、則ち為れ僧坊を起立するなり。赤栴檀を以て、諸の殿堂三十有二を作り、高さ八多羅樹、高広厳好にして、百千の比丘、其の中に止まり、園林、浴池、経行、禅窟、衣服、飲食、床褥、湯薬、一切の楽具、其の中に充満せん。是くの如き僧坊、堂閣、若干百千万億、其の数無量なり。此を以て現前に、我、及び比丘僧に供養するなり。是の故に我れ説く、如来の滅後に、若し受持、読誦し、他人の為に説き、若しは自ら書き、若しは人をして書かしめ、経巻を供養すること有らば、復た塔寺を起て、及び僧坊を造り、衆僧を供養することを須いず。況んや復た人有りて能く是の経を持ち、兼ねて布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧を行ぜんをや。其の徳最も勝れ、無量無辺なり。譬えば虚空の、東西南北、四維、上下、無量無辺なるが如く、是の人の功徳も、亦復た是くの如く無量無辺にして、疾く一切種智に至らん。若し人、是の経を読誦し受持し、他人の為に説き、若しは自ら書き、若しは人をして書かしめ、復た能く塔を起て、及び僧坊を造り、声聞の衆僧を供養し讃歎し、亦た百千万億の讃歎の法を以て、菩薩の功徳を讃歎し、又た他人の為に、種種の因縁をもて、義に随いて此の法華経を解説し、復た能く清浄に戒を持ち、柔和なる者と共に同止し、忍辱にして瞋ること無く、志念堅固に、常に坐禅を貴び、諸の深定を得、精進勇猛にして、諸の善法を摂し、利根智慧にして、善く問難に答えん。」 「阿逸多、若し我が滅後に、諸の善男子、善女人、是の経典を受持し読誦せん者、復た是くの如き諸の善功徳有らば、当に知るべし、是の人は已に道場に趨き、阿耨多羅三藐三菩提に近づき、道樹の下に坐するなり。阿逸多、是の善男子、善女人、若しは坐し、若しは立ち、若しは経行せん処には、此の中に便ち応に塔を起つべし。一切の天人、皆な応に供養すること仏の塔の如くすべし。」
現代語訳
「阿逸多よ、もし私の滅後に、この経典を聞いて受持し、自ら書き、あるいは人に書かせるなら、それは僧坊を建立したことになります。赤栴檀で三十二の殿堂を作り、高さは八本の多羅樹ほどで、高く広く立派で、百千の比丘がその中に住み、園林、浴池、経行の場、禅窟、衣服、飲食、寝具、薬、あらゆる楽しみの具が満ちているとします。このような僧坊や堂閣が何百千万億とあり、その数は量りがありません。これを目の前に整えて、私と比丘の僧に供養するのです。だから私は説きます。如来の滅後に、受持し、読誦し、他人のために説き、自ら書き、人に書かせ、経巻を供養するなら、改めて塔や寺を建てたり、僧坊を造ったり、僧を供養したりする必要はありません。まして、この経を持つ人が、あわせて布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧を行なうなら、その徳は最もすぐれ、量りなく果てしがありません。たとえば虚空が東西南北、四隅、上下に量りなく果てしがないように、この人の功徳もまた量りなく果てしがなく、すみやかに一切種智に至るでしょう。もし人がこの経を読誦し受持し、他人のために説き、自ら書き、人に書かせ、さらに塔を建て、僧坊を造り、声聞の僧を供養して讃え、また百千万億の讃歎の法で菩薩の功徳を讃え、また他人のために、さまざまな因縁で、意味に従ってこの法華経を解説し、さらに清らかに戒を守り、柔和な人と共に住み、耐え忍んで怒らず、志と念が堅固で、常に坐禅を貴んで深い禅定を得、精進して勇ましく、諸の善法を収め、利発で智慧があり、問いや難詰によく答えるなら(その功徳はさらに大きいのです)。」 「阿逸多よ、もし私の滅後に、善男子善女人でこの経典を受持し読誦する者に、このような多くの善い功徳があるなら、この人はすでに道場に向かい、この上ない悟りに近づき、菩提樹の下に座っていると知るべきです。阿逸多よ、この善男子善女人が座り、立ち、あるいは歩き行なう場所には、そこに塔を建てるべきです。一切の天人は、仏の塔のように供養すべきです。」
解説

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法華経・分別功德品第十七(8)爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 若し我が滅度の後に、能く此の経を奉持せば、斯の人の福は無量にして、上に説く所の如し。是れ則ち一切の諸の供養を具足せり。舎利を以て塔を起て、七宝にて荘厳し、 表刹甚だ高広にして、漸く小にして梵天に至り、宝鈴千万億、風動けば妙なる音を出す。又た無量劫に於いて、此の塔を供養し、華、香、諸の瓔珞、天衣、衆の伎楽、 香油、酥燈を燃やして、周匝して常に照明す。悪世、法末の時に、能く是の経を持たん者は、則ち為れ已に上の如く、諸の供養を具足せるなり。若し能く此の経を持たば、則ち仏の現在せるが如し、 牛頭栴檀をもて、僧坊を起てて供養し、堂は三十二有り、高さ八多羅樹、上饌妙なる衣服、床臥皆な具足し、百千の衆の住処、園林、諸の浴池、 経行、及び禅窟、種種に皆な厳好なり。若し信解の心有りて、受持し読誦し書き、若しは復た人をして書かしめ、及び経巻を供養し、華、香、末香を散じ、須曼、薝蔔、 阿提目多伽を以て、薫油もて常に之を燃やさば、是くの如く供養する者は、無量の功徳を得ん。虚空の無辺なるが如く、其の福も亦た是くの如し。況んや復た此の経を持ち、兼ねて布施、持戒、 忍辱、禅定を楽い、瞋らず悪口せず、塔廟を恭敬し、諸の比丘に謙下せんをや。自ら高ぶる心を遠離し、常に智慧を思惟し、問難有るも瞋らず、隨順して為に解説せば、 若し能く是の行を行ぜば、功徳量るべからず。若し此の法師の、是くの如き徳を成就せるを見ば、応に天華を以て散じ、天衣もて其の身を覆い、頭面に足を接して礼し、心を生じて仏の想いの如くすべし。 又た応に是の念を作すべし、久しからずして道場に詣り、無漏無為を得て、広く諸の人天を利せんと。其の所住止の処、経行し若しは坐臥し、乃至、一偈を説かば、是の中に応に塔を起つべし、 荘厳して妙好ならしめ、種種に以て供養せよ。仏子の此の地に住するは、則ち是れ仏の受用したもうなり、常に其の中に在りて、経行し及び坐臥したもう。
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