法華経 / 分別功德品第十七(4)
爾時佛告彌勒菩薩摩訶薩:「阿逸多,其有眾生、聞佛壽命長遠如是,乃至能生一念信解,所得功德、無有限量。若有善男子、善女人,為阿耨多羅三藐三菩提故,於八十萬億那由他劫、行五波羅蜜、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅密、毗梨耶波羅蜜、禪波羅蜜、除般若波羅蜜,以是功德比前功德,百分、千分、百千萬億分、不及其一,乃至算數譬喻所不能知。若善男子、善女人,有如是功德,於阿耨多羅三藐三菩提、退者,無有是處。」 爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
新字:爾時仏告弥勒菩薩摩訶薩:「阿逸多,其有衆生、聞仏寿命長遠如是,乃至能生一念信解,所得功徳、無有限量。若有善男子、善女人,為阿耨多羅三藐三菩提故,於八十万億那由他劫、行五波羅蜜、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅密、毗梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、除般若波羅蜜,以是功徳比前功徳,百分、千分、百千万億分、不及其一,乃至算数譬喩所不能知。若善男子、善女人,有如是功徳,於阿耨多羅三藐三菩提、退者,無有是処。」 爾時世尊欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
爾の時、仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、「阿逸多、其れ衆生有りて、仏の寿命の長遠なること是くの如くなるを聞き、乃至、能く一念の信解を生ぜば、得る所の功徳、限量有ること無し。若し善男子、善女人有りて、阿耨多羅三藐三菩提の為の故に、八十万億那由他劫に於いて、五波羅蜜を行ぜん、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜を除く。是の功徳を以て前の功徳に比ぶるに、百分、千分、百千万億分にして、其の一にも及ばず、乃至、算数譬喩の知ること能わざる所なり。若し善男子、善女人、是くの如き功徳有らば、阿耨多羅三藐三菩提に於いて、退く者は、是の処有ること無けん。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
現代語訳
そのとき仏は弥勒菩薩大士に告げられました。「阿逸多よ、もし衆生がいて、仏の寿命がこのように長く遠いことを聞き、ほんの一念でも信じて理解したなら、その得る功徳には限りがありません。もし善男子、善女人がいて、この上ない悟りのために、八十万億那由他劫のあいだ五つの波羅蜜、すなわち布施、持戒、忍辱、精進、禅定の波羅蜜を行ない(智慧の波羅蜜は除きます)、その功徳を先の功徳と比べても、百分の一、千分の一、百千万億分の一にも及ばず、数や譬えでは知ることのできないほどです。もし善男子、善女人にこのような功徳があるなら、この上ない悟りから退く者は、決していません。」 そのとき世尊は、この意味を重ねて述べようとして、偈を説いて言われました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
法華経・分別功德品第十七(5)若し人、仏慧を求めて、八十万億、那由他劫の数に於いて、五波羅蜜を行ぜん。是の諸劫の中に於いて、布施して仏、及び縁覚、弟子、並びに諸の菩薩衆に供養し、 珍異の飲食、上服と臥具、栴檀もて精舎を立て、園林を以て荘厳す。是くの如き等の布施、種種皆な微妙なり、此の諸の劫数を尽くして、以て仏道に回向せん。 若し復た禁戒を持ち、清浄にして欠漏無く、無上道を求めて、諸仏の歎ずる所ならん。若し復た忍辱を行じ、調柔の地に住し、設い衆悪来たり加うとも、其の心傾動せず。 諸の法を得ること有る者の、増上慢を懐き、此れが為に軽しめ悩まさるるも、是くの如きをも亦た能く忍ばん。若し復た勤めて精進し、志念常に堅固にして、無量億劫に於いて、一心にして懈息せず。 又た無数劫に於いて、空閑の処に住し、若しは坐し若しは経行し、睡を除いて常に心を摂め、是の因縁を以ての故に、能く諸の禅定を生じ、八十億万劫、安住して心乱れず。 此の一心の福を持って、無上道を求むることを願う。我れ一切智を得て、諸の禅定の際を尽くさん、是の人、百千、万億劫の数の中に於いて、此の諸の功徳を行ずること、上に説く所の如し。 善男女等有りて、我が寿命を説くを聞き、乃至、一念も信ぜば、其の福、彼れに過ぎたり。若し人、悉く一切の諸の疑悔有ること無く、深心に須臾も信ぜば、其の福、此くの如くなり。 其れ諸の菩薩有りて、無量劫に道を行ずるに、我が寿命を説くを聞かば、是れ則ち能く信受せん。是くの如き諸人等は、此の経典を頂受し、願わくは我れ未来に於いて、長寿にして衆生を度し、 今日の世尊、諸の釈の中の王の、道場にて師子吼し、法を説きて畏るる所無きが如くならんことを。我等も未来世に、一切に尊敬せられ、道場に坐する時、寿を説くこと亦た是くの如くならん。 若し深心有る者、清浄にして質直に、多く聞きて能く総持し、義に随いて仏語を解せば、是くの如き諸人等は、此に於いて疑い有ること無し。
-
法華経・分別功德品第十七(1)爾の時、大会は、仏の寿命劫数の長遠なること是の如くなるを説きたもうを聞き、無量無辺阿僧祇の衆生は、大饒益を得たり。時に世尊、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、「阿逸多よ、我れ是の如来の寿命の長遠なるを説く時、六百八十万億那由他恒河沙の衆生は、無生法忍を得、復た千倍の菩薩摩訶薩有りて、聞持陀羅尼門を得、復た一世界微塵数の菩薩摩訶薩有りて、楽説無礙弁才を得、復た一世界微塵数の菩薩摩訶薩有りて、百千万億無量の旋陀羅尼を得、復た三千大千世界微塵数の菩薩摩訶薩有りて、能く不退の法輪を転じ、復た二千中国土微塵数の菩薩摩訶薩有りて、能く清浄の法輪を転じ、復た小千国土微塵数の菩薩摩訶薩有りて、八生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べく、復た四四天下微塵数の菩薩摩訶薩有りて、四生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べく、復た三四天下微塵数の菩薩摩訶薩有りて、三生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べく、復た二四天下微塵数の菩薩摩訶薩有りて、二生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べく、復た一四天下微塵数の菩薩摩訶薩有りて、一生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べく、復た八世界微塵数の衆生有りて、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。」
-
法華経・分別功德品第十七(6)「又た、阿逸多、若し仏の寿命の長遠なるを聞きて、其の言趣を解せば、是の人の得る所の功徳、限量有ること無く、能く如来の無上の慧を起こさん。何に況んや広く是の経を聞き、若しは人をして聞かしめ、若しは自ら持ち、若しは人をして持たしめ、若しは自ら書き、若しは人をして書かしめ、若しは華、香、瓔珞、幢幡、繒蓋、香油、酥燈を以て、経巻を供養せんをや。是の人の功徳、無量無辺にして、能く一切種智を生ぜん。阿逸多、若し善男子、善女人、我が寿命の長遠なるを説くを聞き、深心に信解せば、則ち為れ仏の常に耆闍崛山に在りて、大菩薩、諸の声聞衆と共に、囲繞せられて法を説きたもうを見ん。又た此の娑婆世界の、其の地は瑠璃にして、坦然として平正なり、閻浮檀金もて以て八道を界い、宝樹行列し、諸の台楼観、皆な悉く宝もて成り、其の菩薩衆、咸な其の中に処するを見ん。若し能く是くの如く観ずる者有らば、当に知るべし、是れを深信解の相と為す。」 「又た復た如来の滅後に、若し是の経を聞きて、毀呰せずして、随喜の心を起こさば、当に知るべし、已に深信解の相と為す、何に況んや読誦し受持する者をや、斯の人は則ち為れ如来を頂戴するなり。阿逸多、是の善男子、善女人は、我が為に復た塔寺を起て、及び僧坊を作り、四事を以て衆僧を供養することを須いず。所以は何ん。是の善男子、善女人、是の経典を受持し読誦する者は、為に已に塔を起て、僧坊を造立し、衆僧を供養するなり。則ち為れ仏舎利を以て、七宝の塔を起て、高広漸く小にして、梵天に至り、諸の幡蓋、及び衆の宝鈴、華、香、瓔珞、末香、塗香、焼香、衆鼓、伎楽、簫、笛、箜篌、種種の舞戯、妙なる音声を以て、歌唄讃頌せば、則ち為れ無量千万億劫に於いて、是の供養を作し已れるなり。」
-
法華経・分別功德品第十七(3)仏、稀有の法を説きたもう、昔より未だ曽て聞かざる所なり。世尊は大力有り、寿命量るべからず。無数の仏子、世尊の分別して、法利を得る者を説きたもうを聞きて、歓喜、身に充ち遍し。 或いは不退地に住し、或いは陀羅尼を得、或いは無礙楽説、万億の旋総持あり。或いは大千界、微塵数の菩薩有りて、各各皆な能く不退の法輪を転ず。 復た中千界、微塵数の菩薩有りて、各各皆な能く清浄の法輪を転ず。復た小千界、微塵数の菩薩有りて、余の各八生在りて、当に仏道を成ずることを得べし。 復た四三二、此くの如き四天下、微塵の諸の菩薩、数に随いて生じて仏と成らん。或いは一四天下、微塵数の菩薩、余、一生在ること有りて、当に一切智を成ずべし。 是くの如き等の衆生、仏の寿の長遠なるを聞きて、無量の無漏、清浄の果報を得。復た八世界、微塵数の衆生有りて、仏の寿命を説きたもうを聞きて、皆な無上心を発す。 世尊、無量、不可思議の法を説きたもう、多く饒益する所有ること、虚空の無辺なるが如し。天の曼陀羅、摩訶曼陀羅を雨らし、釈梵、恒沙の如く、無数の仏土より来たる。 栴檀、沈水を雨らし、繽紛として乱れ墜つること、鳥の空を飛びて下るが如く、諸仏に供散す。天鼓、虚空の中に、自然に妙なる声を出し、天衣千万種、旋転して来下す。 衆宝の妙なる香炉に、無価の香を焼き、自然に悉く周遍して、諸の世尊に供養す。其の大菩薩衆、七宝の幡蓋を執り、高妙なること万億種、次第に梵天に至る。 一一の諸仏の前に、宝幢、勝れたる幡を懸く。亦た千万の偈を以て、諸の如来を歌詠す。是くの如き種種の事、昔より未だ曽て有らざる所なり、仏の寿の無量なるを聞きて、一切皆な歓喜す。 仏の名、十方に聞こえ、広く衆生を饒益し、一切、善根を具えて、以て無上心を助く。
-
法華経・隨喜功德品第十八(2)「若し四百万億阿僧祇の世界の六趣四生の衆生、卵生、胎生、湿生、化生、若しは有形、無形、有想、無想、非有想、非無想、無足、二足、四足、多足、是くの如き等の、衆生の数に在る者に、有る人、福を求めて、其の欲する所の娯楽の具に随いて、皆な之を給与し、一一の衆生に、閻浮提に満つる金、銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、諸の妙なる珍宝、及び象、馬、車乗、七宝の成ずる所の宮殿楼閣等を与えん。是の大施主、是くの如く布施すること、八十年を満じ已りて、是の念を作さん、『我れ已に衆生に娯楽の具を施して、意に随い欲する所にせしも、然るに此の衆生、皆な已に衰老して、年八十を過ぎ、髪白く面皺み、将に死すること久しからざらんとす。我れ当に仏法を以て之を訓導すべし。』と。即ち此の衆生を集めて、法を宣布して化し、示教利喜せば、一時に皆な須陀洹道、斯陀含道、阿那含道、阿羅漢道を得、諸の有漏を尽くし、深禅定に於いて皆な自在を得、八解脱を具えん。汝が意に於いて云何、是の大施主の得る所の功徳、寧ろ多しと為すや否や。」 弥勒、仏に白して言さく、「世尊、是の人の功徳甚だ多く、無量無辺なり。若し是の施主、但だ衆生に一切の楽具を施すのみにても、功徳無量なり、何に況んや阿羅漢果を得しめんをや。」仏、弥勒に告げたまわく、「我れ今、分明に汝に語る、是の人、一切の楽具を以て、四百万億阿僧祇世界の六趣の衆生に施し、又た阿羅漢果を得しめて、得る所の功徳も、是の第五十の人の、法華経の一偈を聞きて随喜せる功徳に如かず、百分、千分、百千万億分にして、其の一にも及ばず、乃至、算数譬喩の知ること能わざる所なり。阿逸多、是くの如き第五十の人の、展転して法華経を聞きて随喜せる功徳すら、尚お無量無辺阿僧祇なり、何に況んや最初に会の中に於いて、聞きて随喜せる者は、其の福復た勝れて、無量無辺阿僧祇にして、比ぶることを得べからず。」
-
法華経・從地湧出品第十五(8)「仏も亦た是の如し。道を得たまいてより已来、其の実に未だ久しからざるに、而も此の大衆の諸の菩薩等は、已に無量千万億劫に於いて、仏道の為の故に勤行精進し、善く無量百千万億の三昧に入出住し、大神通を得、久しく梵行を修め、善く能く次第に諸の善法を習い、問答に巧みにして、人中の宝なり。一切世間に甚だ希有と為す。今日、世尊、方に云く、仏道を得たまいし時、初めて発心せしめ、教化し示導し、阿耨多羅三藐三菩提に向かわしめたりと。世尊は仏を得たまいて未だ久しからざるに、乃ち能く此の大功徳の事を作したまえり。我等は復た仏の宜しきに随いて説きたもう所を信じ、仏の出したもう言は未だ曽て虚妄ならず、仏の知りたもう所は皆悉く通達したもうと雖も、然も諸の新たに発意せる菩薩は、仏の滅後に、若し是の語を聞かば、或いは信受せずして、法を破する罪業の因縁を起こさん。惟だ願わくは、世尊よ、為に解説して、我等の疑いを除き、及び未来世の諸の善男子の、此の事を聞き已りて、亦た疑いを生ぜざらしめたまえ。」 爾の時、弥勒菩薩、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、