方丈記 / 『方丈記』三界はただ心一つ
それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望なし。今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の氣味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。
新字:それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿楼閣も望なし。今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の気味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。
書き下し
それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望なし。今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の氣味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。
現代語訳
そもそも三界は、ただ心一つです。心がもし安らかでなければ、牛馬や七宝も無益で、宮殿や楼閣も望みになりません。今のさびしい住まい、一間の庵を、私は自ら愛しています。たまたま都に出ては、乞食になっていることを恥じますが、帰ってここにいる時は、他の人が俗塵に執着していることを哀れに思います。もし人がこの言うことを疑うなら、魚と鳥の様子を見なさい。魚は水に飽きません。魚でなければその心をどうして知ることができましょう。鳥は林を願います。鳥でなければその心を知りません。閑居の味わいもまたこのとおりです。住まないで誰が悟りましょう。
解説

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