方丈記 / 『方丈記』閑寂への執着という障り
そもそも一期の月影かたぶきて餘算山のはに近し。忽に三途のやみにむかはむ時、何のわざをかかこたむとする。佛の人を教へ給ふおもむきは、ことにふれて執心なかれとなり。今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし。いかゞ用なきたのしみをのべて、むなしくあたら時を過さむ。
新字:そもそも一期の月影かたぶきて余算山のはに近し。忽に三途のやみにむかはむ時、何のわざをかかこたむとする。仏の人を教へ給ふおもむきは、ことにふれて執心なかれとなり。今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし。いかゞ用なきたのしみをのべて、むなしくあたら時を過さむ。
書き下し
そもそも一期の月影かたぶきて餘算山のはに近し。忽に三途のやみにむかはむ時、何のわざをかかこたむとする。佛の人を教へ給ふおもむきは、ことにふれて執心なかれとなり。今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし。いかゞ用なきたのしみをのべて、むなしくあたら時を過さむ。
現代語訳
そもそも一生の月の光は傾いて、残りの命は山の端に近づきました。たちまち三途の闇に向かう時、何をかこつことができるでしょう。仏が人をお教えになる趣旨は、何事につけても執着するなということです。いま草の庵を愛することも咎とし、閑寂に執着することも障りとなるでしょう。どうして役に立たない楽しみを述べて、むなしく惜しい時を過ごすのでしょうか。
解説
ここから方丈記は大きく転じます。命の終わりが近づいたいま、仏の教えは何事にも執着するなというものだ。それなら草の庵を愛することも咎、閑寂に執着することも障りとなるのではないか、と長明は自問します。役に立たない楽しみを語って、むなしく時を過ごしてよいのか、と。ここまで簡素な暮らしの良さを書いてきた自分を、自分で疑う場面です。現代でも、理想の働き方や暮らし方に没頭するうち、それ自体が目的化して囚われることがあります。信じている型を点検し直す姿勢が、この自問から読み取れます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
一期の月影三途執心なかれ閑寂に着する自問用なきたのしみ
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