秘本玉くしげ / 下 正物で取引
しかれども、右の子細どもをつねづねよく心得居て、惣体正物にて取引すべき事は、少少不便利にはありとも、やはり正物にて取引をして、金銀の取引のすぢをばなるべきだけはこれを省き、猶又さまざまの金銀のやりくりなどをも、なるべきだけは隨分これを止め、又爲べき事を金銀にて仕切るやうのすぢは、猶更無用にあらまほしき事也。それも民間にて下下どちの細事などは、さる事もあるべけれ共、少少金高にも及ぶほどの事には、決してあるまじきわざ也。惣じて物事は、不便利にても地道なる事は始終全くして失なきものなるを、算用にかかり便利にはしるときは、必間違ひもいでき、詐欺のすぢもありやすく、思ひかけぬ失のあることなれば、國の政をとり行はん人などは、此所をよく考へて、万事なるべきだけは金銀便利のすぢにはかからぬやうに心がけ玉ふべきにこそ。
新字:しかれども、右の子細どもをつねづねよく心得居て、惣体正物にて取引すべき事は、少少不便利にはありとも、やはり正物にて取引をして、金銀の取引のすぢをばなるべきだけはこれを省き、猶又さまざまの金銀のやりくりなどをも、なるべきだけは随分これを止め、又為べき事を金銀にて仕切るやうのすぢは、猶更無用にあらまほしき事也。それも民間にて下下どちの細事などは、さる事もあるべけれ共、少少金高にも及ぶほどの事には、決してあるまじきわざ也。惣じて物事は、不便利にても地道なる事は始終全くして失なきものなるを、算用にかかり便利にはしるときは、必間違ひもいでき、詐欺のすぢもありやすく、思ひかけぬ失のあることなれば、国の政をとり行はん人などは、此所をよく考へて、万事なるべきだけは金銀便利のすぢにはかからぬやうに心がけ玉ふべきにこそ。
書き下し
しかれども、右の子細どもをつねづねよく心得居て、惣体正物にて取引すべき事は、少少不便利にはありとも、やはり正物にて取引をして、金銀の取引のすぢをばなるべきだけはこれを省き、猶又さまざまの金銀のやりくりなどをも、なるべきだけは随分これを止め、又為べき事を金銀にて仕切るやうのすぢは、猶更無用にあらまほしき事也。それも民間にて下下どちの細事などは、さる事もあるべけれ共、少少金高にも及ぶほどの事には、決してあるまじきわざ也。惣じて物事は、不便利にても地道なる事は始終全くして失なきものなるを、算用にかかり便利にはしるときは、必間違ひもいでき、詐欺のすぢもありやすく、思ひかけぬ失のあることなれば、国の政をとり行はん人などは、此所をよく考へて、万事なるべきだけは金銀便利のすぢにはかからぬやうに心がけ玉ふべきにこそ。
現代語訳
しかしながら、右の事情をふだんからよく心得ていて、総じて現物で取引すべき事は、少々不便ではあっても、やはり現物で取引をして、金銀の取引の筋はなるべくこれを省き、なおまた、さまざまな金銀のやりくりなども、なるべくできるだけこれをやめ、また、なすべき事を金銀で片をつけるような筋は、なおさら無用であってほしいことである。それも民間で下々同士の細かい事などは、そういうこともあるだろうけれども、少々金額にも及ぶほどの事には、決してあってはならないことである。総じて物事は、不便であっても地道な事は始めから終わりまで全うして失のないものなのに、算用にかかり便利に走るときは、必ず間違いも出てき、詐欺の筋も起こりやすく、思いがけない失のあることなので、国の政治を執り行おうとする人などは、このところをよく考えて、万事なるべくできるだけ金銀の便利の筋にはかからないように心がけなさるべきである。
解説
この章句が説くこと
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『秘本玉くしげ』下 金銀便利の弊又世上の金銀おほくして便利なれば、人人買まじき無益の物をも買ひ、為まじき無益の事をも為などする故に、おのづから奢を長ずる。これらみな世の困窮の端となること也。なほ又、上下の人ことごとく金銀にのみ目をかくるゆゑに、今の世は武士も百姓も出家も、みな鄙劣なる商人心になりて、世上の風儀も軽薄になる事ぞかし。かくのごとく、世上通用の金銀甚多くして自由便利なるにつきては、其失も甚多けれども、年久しく馴来りたる事なれば、此ならひは俄には改めがたし。不便利なる事すら、久しく馴たるを俄に改めては人の帰服しにくきものなるに、ましてこれは甚便利なる事なるを、今更通用の金銀を減少などしては、当分大にさしつかゆる事など多くして、却て大に失あるべし。且又、金銀通用の筋などは天下のうへの事なれば、いかほど害ある事有とても、一国ぎり私にはいかにともすべきやうなし。
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『秘本玉くしげ』下 金銀の忙しさ其本を尋ぬれば、実には世上通用の金銀甚多くして自由に手まはるから起りて、何事にもこれを用ふるやうになり、次第にはたらきいそがはしくなれるによりて、其多きよりもなほいそがはしき方が勝ゆゑに、得がたくてすくなきやうに思はるる也。さて金銀通用始まりていまだ久しからざりしほどは、多ければますます便利のよろしきのみにて、さのみ其弊はなかりしが、漸漸年代久しくなるにつきては、その弊も多くなれる也。右に申せる如く、世上何事にも是を用ひて取引する事多きままに、其取引の間にて過分の利を得る事多く、或は商人ながら物の交易をもせず、ただ金銀のうへのみを以て世を渡る者もおびただしく、富人は別してこれによりてますます富を重ぬること甚し。
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『秘本玉くしげ』下 害と見えぬ害さて金銀のやりくり取引をば、なるべきだけは省きて少なくするときは、自然とすこしづつも人情金銀にうとく遠ざかるやうになりて、面面の本業を大切にはげむやうになり、金銀にのみ目をかけて近道にはしるならひ、少少づつもうすらぎて、人の鄙劣なる心、軽薄の風儀も直るべきもの也。とかく下は上を見ならふものなれば、かやうの事も上のしならはせ計らひに有べきことにこそ。天下のため国のために害なる事世に多し。其中に、実は大に害あれども害と見えざる事もあり、又ここには益あれどもかしこに害ある事あり、又当分は益あるやうなれども後日に大害となることあり。これら皆人の惑ふこと也。国政をとらん人、つねに心を付らるべし。又眼前に大害としれながらも停めがたく、国君の勢にても公儀の御威光にても、俄には禁止しがたき事も多くある也。然るにその類を俄にしひて禁ぜんとするときは、却て又害を生じて、いかんともしがたき事もあるもの也。
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『秘本玉くしげ』下 遊民は国の損惣じて、金銀のやり引しげく多き故に、世上の人の心みなこれにうつりて、士農工商ことごとく己が本業をばおこたりて、ただ近道に手早く金銀を得る事にのみ目をかくるならひとなれり。世に少しにても、金銀の取引にて利を得ることあれば、それだけ作業をおこたる故、世上の損也。いはんや、業をばなさずして、ただ金銀の上のみにて世を渡る者はみな遊民にて、遊民の多きは国の大損なれば、おのづから世上困窮の基となれり。
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『秘本玉くしげ』下 金銀の多さを知らず抑金銀を広く通用する事は、慶長のころより始まれることにて、その以前はただ銭のみの通用なりき。然るに此金銀通用始まりては、甚世上の便利にして、尤自由よろしき事也。さて通用の金銀は、随分多きほど便利にして自由は宜しき也。然れども、それに付て又失ある事多く、却て世上の困窮に及ぶ基ともなること也。かくて当時天下に通用する金銀は殊の外に多くして、甚便利はよき事なるに、今の人はもとよりかくのごとくなる世に馴たる故に、金銀の甚多きといふ事をしらず、便利の甚宜しき事をも覚えずして、却て世上通用の金銀の払底にて得がたきゆゑに世は困窮するやうに思ふは、商人心にして、末をのみ思ひて本をしらざるもの也。
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『秘本玉くしげ』下 御勝手の逼迫近来上下おしなべて内証困窮する者多きわけ、又奢の自然とうすらぐべき仕方など、段段上に申せるが如し。然れども、困窮甚せまりて、いかにともすべき方なくさしつまりたる時に至りては、右のごとくゆるやかなる仕方ばかりにては、とてもさしあたりての間には合ひがたき事なれば、左様の時は、いかにしてなりとも急にそのはからひなくてはかなはず。上下大小ともにみな同じ事也。其中に、大名の御勝手の甚逼迫してさしつまりたる時の作略は、まづ町人百姓の金銀をめさるるが近代世間並の事也。然れども、是は上にも申せるが如く、甚心よからぬこと也。たとひしひてこれをめされても、それは限りある事なれば、いつまでも左様にて済ことにあらず。始終のすまぬ事に、大切なる御国政に瑕をつけん事は、いかにしても残念なること也。
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