秘本玉くしげ / 下 金銀の忙しさ
其本を尋ぬれば、實には世上通用の金銀甚多くして自由に手まはるから起りて、何事にもこれを用ふるやうになり、次第にはたらきいそがはしくなれるによりて、其多きよりもなほいそがはしき方が勝ゆゑに、得がたくてすくなきやうに思はるる也。さて金銀通用始まりていまだ久しからざりしほどは、多ければますます便利のよろしきのみにて、さのみ其弊はなかりしが、漸漸年代久しくなるにつきては、その弊も多くなれる也。右に申せる如く、世上何事にも是を用ひて取引する事多きままに、其取引の間にて過分の利を得る事多く、或は商人ながら物の交易をもせず、ただ金銀のうへのみを以て世を渡る者もおびただしく、富人は別してこれによりてますます富を重ぬること甚し。
新字:其本を尋ぬれば、実には世上通用の金銀甚多くして自由に手まはるから起りて、何事にもこれを用ふるやうになり、次第にはたらきいそがはしくなれるによりて、其多きよりもなほいそがはしき方が勝ゆゑに、得がたくてすくなきやうに思はるる也。さて金銀通用始まりていまだ久しからざりしほどは、多ければますます便利のよろしきのみにて、さのみ其弊はなかりしが、漸漸年代久しくなるにつきては、その弊も多くなれる也。右に申せる如く、世上何事にも是を用ひて取引する事多きままに、其取引の間にて過分の利を得る事多く、或は商人ながら物の交易をもせず、ただ金銀のうへのみを以て世を渡る者もおびただしく、富人は別してこれによりてますます富を重ぬること甚し。
書き下し
其本を尋ぬれば、実には世上通用の金銀甚多くして自由に手まはるから起りて、何事にもこれを用ふるやうになり、次第にはたらきいそがはしくなれるによりて、其多きよりもなほいそがはしき方が勝ゆゑに、得がたくてすくなきやうに思はるる也。さて金銀通用始まりていまだ久しからざりしほどは、多ければますます便利のよろしきのみにて、さのみ其弊はなかりしが、漸漸年代久しくなるにつきては、その弊も多くなれる也。右に申せる如く、世上何事にも是を用ひて取引する事多きままに、其取引の間にて過分の利を得る事多く、或は商人ながら物の交易をもせず、ただ金銀のうへのみを以て世を渡る者もおびただしく、富人は別してこれによりてますます富を重ぬること甚し。
現代語訳
その本を尋ねれば、実は世の中に通用する金銀がたいへん多くて自由に手に回るところから起こって、何事にもこれを用いるようになり、しだいに(金銀の)働きが忙しくなったので、その多さよりもなお忙しさの方が勝るゆえに、手に入りにくく少ないように思われるのである。さて、金銀の通用が始まってまだ久しくなかったころは、多ければますます便利がよいばかりで、それほどその弊害はなかったが、しだいに年代が久しくなるにつれて、その弊害も多くなったのである。右に申したように、世の中の何事にもこれを用いて取引することが多いので、その取引の間で過分の利を得ることが多く、あるいは商人でありながら物の交易もせずに、ただ金銀の上だけで世を渡る者もおびただしく、富者はとりわけこれによってますます富を重ねることがはなはだしい。
解説
この章句が説くこと
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『秘本玉くしげ』下 金銀の多寡今の世に、金銀の得がたきは、少き故にはあらず、あまり多きよりおこれることなり。その道理はいかにといふに、米穀をはじめ其外何にても、万の物を取引するに、その正物を取引するよりは、価をはかりて金銀にて取引するが格別に便利よき故に、昔は正物にて取引したる事をも、今はみな金銀にてするやうになり、其外万の事みな金銀にてとりはからふやうになりて、次第に金銀のとりやり多くしげくなり、其とりやりかけ引の間に、なほ又さまざま便利なる仕方などある。かやうに万物万事みな金銀にて間の合やうになれるは、これ全く世上通用の金銀の甚多きが故也。少なくては、いかほど便利よき事有ても、かやうに広く何事にも用ひぬることはなりがたし。さて昔は、金銀を取引することも今よりはすくなく、又金銀にて万の事を取はからふ事もまれなりし故に、人のこれを願ふ心も今のやうに甚しくはあらざりしを、今は右の如く、世間に此とりやり掛引しげく、金銀つねに人の耳目にちかく親しく、又金銀にて何事も済む故に、人毎にこれを得んことを願ふ心も、むかしよりは格別に甚しく切なるによりて、甚得がたきやうに覚ゆる也。惣じて至て得がたき物は、これを得んと欲する念も無ものなるに、今の人の金銀の得がたきを憂ふるは、地体が多くて得がたからぬ故也。さて又、何事につきても金銀のはたらきしげくいそがはしき故に、実に得がたくもあり、得がたきによりては少きやうに思ふ也。たとへば毎年盆前と極月には、常よりも又格別に金銀逼迫して、いよいよ得がたきはいかなるゆゑぞ。此時とても、世上の金銀常よりすくなくなるにあらず。常には遊ばしおく金銀をさへ、二季には出して働かす事なれば、常よりは多きに、却て左様に得がたき事は、常よりも又やりひきしげく、金銀いそがはしきが故ならずや。是を以て、惣体金銀の得がたきは少なき故にはあらざる事をさとるべし。
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『秘本玉くしげ』下 金銀便利の弊又世上の金銀おほくして便利なれば、人人買まじき無益の物をも買ひ、為まじき無益の事をも為などする故に、おのづから奢を長ずる。これらみな世の困窮の端となること也。なほ又、上下の人ことごとく金銀にのみ目をかくるゆゑに、今の世は武士も百姓も出家も、みな鄙劣なる商人心になりて、世上の風儀も軽薄になる事ぞかし。かくのごとく、世上通用の金銀甚多くして自由便利なるにつきては、其失も甚多けれども、年久しく馴来りたる事なれば、此ならひは俄には改めがたし。不便利なる事すら、久しく馴たるを俄に改めては人の帰服しにくきものなるに、ましてこれは甚便利なる事なるを、今更通用の金銀を減少などしては、当分大にさしつかゆる事など多くして、却て大に失あるべし。且又、金銀通用の筋などは天下のうへの事なれば、いかほど害ある事有とても、一国ぎり私にはいかにともすべきやうなし。
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『秘本玉くしげ』下 金銀の多さを知らず抑金銀を広く通用する事は、慶長のころより始まれることにて、その以前はただ銭のみの通用なりき。然るに此金銀通用始まりては、甚世上の便利にして、尤自由よろしき事也。さて通用の金銀は、随分多きほど便利にして自由は宜しき也。然れども、それに付て又失ある事多く、却て世上の困窮に及ぶ基ともなること也。かくて当時天下に通用する金銀は殊の外に多くして、甚便利はよき事なるに、今の人はもとよりかくのごとくなる世に馴たる故に、金銀の甚多きといふ事をしらず、便利の甚宜しき事をも覚えずして、却て世上通用の金銀の払底にて得がたきゆゑに世は困窮するやうに思ふは、商人心にして、末をのみ思ひて本をしらざるもの也。
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『秘本玉くしげ』下 遊民は国の損惣じて、金銀のやり引しげく多き故に、世上の人の心みなこれにうつりて、士農工商ことごとく己が本業をばおこたりて、ただ近道に手早く金銀を得る事にのみ目をかくるならひとなれり。世に少しにても、金銀の取引にて利を得ることあれば、それだけ作業をおこたる故、世上の損也。いはんや、業をばなさずして、ただ金銀の上のみにて世を渡る者はみな遊民にて、遊民の多きは国の大損なれば、おのづから世上困窮の基となれり。
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『秘本玉くしげ』上 富は富商に集まる富める者、商の筋の諸事工面よき事は申すに及ばず、金銀ゆたかなるによりて、何事につけても手行よろしくて利を得る事のみなるゆゑに、いやとも金銀は次第にふゆる事なるを、貧しき者は何事もみなそのうらなれば、いよいよ貧しくなる道理也。さて世上困窮して不勝手なる商人多ければ、その不勝手なる方は何事も手行あしきから、売者も買者も多く手行のよき方へつく故に、富商はいよいよ工面よき也。又世上困窮に付ては、金銀を借者多き故に、ゆたかなる者はこれを貸て利を得る事多きに、貧しき者は借りて利を出して、いよいよ苦しむ也。尤借りて返さざる者も多けれ共、それに付ては貸者は又はいろいろと勘弁して、慥なるやうを考へてかしこく立まはる故に、損をする方はまづ少なし。惣じて今の世は、大抵利を得る事は難くして損はしやすき時節なるゆゑに、富商は随分金銀をへらさぬ分別を第一として、慥なるかたにつく故に、まづは減ずる事はすくなくて、とにかくにふゆる方おほき也。
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『秘本玉くしげ』下 正物で取引しかれども、右の子細どもをつねづねよく心得居て、惣体正物にて取引すべき事は、少少不便利にはありとも、やはり正物にて取引をして、金銀の取引のすぢをばなるべきだけはこれを省き、猶又さまざまの金銀のやりくりなどをも、なるべきだけは随分これを止め、又為べき事を金銀にて仕切るやうのすぢは、猶更無用にあらまほしき事也。それも民間にて下下どちの細事などは、さる事もあるべけれ共、少少金高にも及ぶほどの事には、決してあるまじきわざ也。惣じて物事は、不便利にても地道なる事は始終全くして失なきものなるを、算用にかかり便利にはしるときは、必間違ひもいでき、詐欺のすぢもありやすく、思ひかけぬ失のあることなれば、国の政をとり行はん人などは、此所をよく考へて、万事なるべきだけは金銀便利のすぢにはかからぬやうに心がけ玉ふべきにこそ。
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