秘本玉くしげ / 上 天下と一国
たとへば何にもせよ、世上に無益の奢のために用る物を多くつくり出す國あらんに、これは天下のうへよりいへば損なれども、其國にとりては損にあらず。いかにといふに、其物を多く作り出すだけ米穀を作り出す事すくなけれ共、其物の價を取て、米穀等をばそれだけは他國より買取ゆゑに、其國には損なし。然れ共、その國にてその米穀をつくり出さざるだけ、天下の上にては損ある也。すべてこれらに限らず、天下と一國一國との上にて、その趣のかはる事外にも多し。さて又、交易のために商人もなくてはかなはぬものにて、商人の多きほど國のためにも民間のためにも自由はよきもの也。然れども、惣じて自由のよきはよきほど損あり。何事も自由よければそれだけ物入多く、不自由なれば物入はすくなし。
新字:たとへば何にもせよ、世上に無益の奢のために用る物を多くつくり出す国あらんに、これは天下のうへよりいへば損なれども、其国にとりては損にあらず。いかにといふに、其物を多く作り出すだけ米穀を作り出す事すくなけれ共、其物の価を取て、米穀等をばそれだけは他国より買取ゆゑに、其国には損なし。然れ共、その国にてその米穀をつくり出さざるだけ、天下の上にては損ある也。すべてこれらに限らず、天下と一国一国との上にて、その趣のかはる事外にも多し。さて又、交易のために商人もなくてはかなはぬものにて、商人の多きほど国のためにも民間のためにも自由はよきもの也。然れども、惣じて自由のよきはよきほど損あり。何事も自由よければそれだけ物入多く、不自由なれば物入はすくなし。
書き下し
たとへば何にもせよ、世上に無益の奢のために用る物を多くつくり出す国あらんに、これは天下のうへよりいへば損なれども、其国にとりては損にあらず。いかにといふに、其物を多く作り出すだけ米穀を作り出す事すくなけれ共、其物の価を取て、米穀等をばそれだけは他国より買取ゆゑに、其国には損なし。然れ共、その国にてその米穀をつくり出さざるだけ、天下の上にては損ある也。すべてこれらに限らず、天下と一国一国との上にて、その趣のかはる事外にも多し。さて又、交易のために商人もなくてはかなはぬものにて、商人の多きほど国のためにも民間のためにも自由はよきもの也。然れども、惣じて自由のよきはよきほど損あり。何事も自由よければそれだけ物入多く、不自由なれば物入はすくなし。
現代語訳
たとえば、何であれ、世の無益な奢りのために用いる物を多く作り出す国があるとすると、これは天下全体の上から言えば損だが、その国にとっては損ではない。なぜかと言えば、その物を多く作り出すぶん米穀を作り出すことは少ないけれども、その物の代価を取って、米穀などはそのぶん他国から買い取るので、その国には損がない。しかし、その国でその米穀を作り出さないぶん、天下の上では損があるのである。すべてこれらに限らず、天下と一国一国との上で、その趣の変わることはほかにも多い。さてまた、交易のために商人も無くてはならないもので、商人が多いほど国のためにも民間のためにも便利はよいものである。しかしながら、総じて便利がよいのはよいぶんだけ損がある。何事も便利がよければそれだけ出費が多く、不便であれば出費は少ない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』上 無益の物の費えおよそ人間の用をなす一切の物は、其本は皆地より生ずる事なるが、其中に無てかなはぬ物と、無益のおごりに用る物とあるを、世上のおごり長じぬれば、その無益の事に多くの物を費す。その無益の物のために田地山林多くつゐへて、有用の物の出る妨となり、又無益の事にさまざま人の手間入事多き故に、有用の業をなすべき者もその無益のわざをなして世を渡る。これ天下の手間の費にして、かの無益の物に土地をつゐやすも同じ事也。然るに世人此子細をわきまへずして、何ごとをしてなりとも人の渡世になる事多く、商事おほければ、世上のにぎはひ繁昌也と心得るはひが事也。平民の身一分のうへにては、いかにも何わざをしてなりとも金銀を得る事の多きが利なれども、上に立て民を治むる人の身にとりては、領内おしならして利益あることならでは損ある也。たとへば、城下はにぎはふて商人は利を得る事多くても、在在百姓のつまりとなりては、本を失ふて末を益する也。但しこれは天下と一国一国との差別あり。
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『秘本玉くしげ』下 害と見えぬ害さて金銀のやりくり取引をば、なるべきだけは省きて少なくするときは、自然とすこしづつも人情金銀にうとく遠ざかるやうになりて、面面の本業を大切にはげむやうになり、金銀にのみ目をかけて近道にはしるならひ、少少づつもうすらぎて、人の鄙劣なる心、軽薄の風儀も直るべきもの也。とかく下は上を見ならふものなれば、かやうの事も上のしならはせ計らひに有べきことにこそ。天下のため国のために害なる事世に多し。其中に、実は大に害あれども害と見えざる事もあり、又ここには益あれどもかしこに害ある事あり、又当分は益あるやうなれども後日に大害となることあり。これら皆人の惑ふこと也。国政をとらん人、つねに心を付らるべし。又眼前に大害としれながらも停めがたく、国君の勢にても公儀の御威光にても、俄には禁止しがたき事も多くある也。然るにその類を俄にしひて禁ぜんとするときは、却て又害を生じて、いかんともしがたき事もあるもの也。
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『秘本玉くしげ』下 遊民は国の損惣じて、金銀のやり引しげく多き故に、世上の人の心みなこれにうつりて、士農工商ことごとく己が本業をばおこたりて、ただ近道に手早く金銀を得る事にのみ目をかくるならひとなれり。世に少しにても、金銀の取引にて利を得ることあれば、それだけ作業をおこたる故、世上の損也。いはんや、業をばなさずして、ただ金銀の上のみにて世を渡る者はみな遊民にて、遊民の多きは国の大損なれば、おのづから世上困窮の基となれり。
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『秘本玉くしげ』下 金銀便利の弊又世上の金銀おほくして便利なれば、人人買まじき無益の物をも買ひ、為まじき無益の事をも為などする故に、おのづから奢を長ずる。これらみな世の困窮の端となること也。なほ又、上下の人ことごとく金銀にのみ目をかくるゆゑに、今の世は武士も百姓も出家も、みな鄙劣なる商人心になりて、世上の風儀も軽薄になる事ぞかし。かくのごとく、世上通用の金銀甚多くして自由便利なるにつきては、其失も甚多けれども、年久しく馴来りたる事なれば、此ならひは俄には改めがたし。不便利なる事すら、久しく馴たるを俄に改めては人の帰服しにくきものなるに、ましてこれは甚便利なる事なるを、今更通用の金銀を減少などしては、当分大にさしつかゆる事など多くして、却て大に失あるべし。且又、金銀通用の筋などは天下のうへの事なれば、いかほど害ある事有とても、一国ぎり私にはいかにともすべきやうなし。
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『秘本玉くしげ』上 商人の友つぶれ上中下共に身分不相応におごりて、内証は困窮なるゆゑに、商事は多くても、買たる物のあたゐを得出さざる者殊の外多く、又借たる金銀を返さざる者おほきゆゑに、売者貸者利を得ることなりがたくて損をする事おほく、又世上の惣体の商は多けれ共、百姓の商人になるが多くて、商人の数次第に多きゆゑに、手まへ手まへの一分の商高は多からず。商高少なくては渡世になりがたきゆゑに、しひて多くせんとすれば、掛損などに多くなりて、又困窮に至る。さて町人は、内証は困窮しながらも、百姓よりは身を労する事もすくなく、又百姓よりは奢てとほるものゆゑに、百姓はこれをうらやみて、とかく町人になる事を願ふもの多し。それ故に商人は年年に多くなりて、友つぶれになる也。さて又、世上の奢甚しきゆゑに、其奢のすぢに用るもろもろの物おびただしく、それに人の手間をつゐやす事もおびただしき也。
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『秘本玉くしげ』上 便利が出費を生む然るに今の世は、人ごとに我おとらじとよきものをのぞみ、自由なるうへにも自由よからんとするから、商人職人年年月月に、便利よく自由なる事、めづらしきものなどを考へ出し作り出して、これを売ひろむるゆゑに、年年月月によきもの自由なるもの出来て、世上の人の物入は漸漸に多くなること也。すべて何事も、今までなければなくて足りぬる事も、あるを見ては無が不自由に覚え、又今までは麁相なる物にてことたれるも、それより美物出れば麁相なるは甚わろく思はるる故に、次第次第に事も物も数数おほくなり、華麗になりゆくこと也。かくて事も物も、一つにても多くなり華美になれば、それだけ世話も多く、物入は勿論おほき也。これみな世中の奢りの長ずるにて、畢竟は困窮の基となることぞ。さて又、世間の困窮に付ては、富る者はいよいよますます富を重ねて、大かた世上の金銀財宝は、うごきゆるぎに富商の手にあつまること也。
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