碧巌録 / 第五十一則
末後句 為君說明暗雙雙底時節同條生也共相知 不同條死還殊絕還殊絕黃頭碧眼須甄別南北東西歸去來夜深同看千巖雪
新字:末後句 為君説明暗双双底時節同条生也共相知 不同条死還殊絶還殊絶黄頭碧眼須甄別南北東西帰去来夜深同看千巖雪
書き下し
末後の句、君が為に説く。明暗双双底の時節。同条に生ずるや共に相知る、同条に死せざるや還た殊絶す。還た殊絶す、黄頭碧眼も須らく甄別すべし。南北東西、帰去来、夜深けて同じく看る千巌の雪。
現代語訳
末後の句を、君のために説こう。明と暗とが並び立つその時節である。同じ枝に生まれたことは互いによく知っている。同じ枝に死なないことは、まったくかけ離れている。まったくかけ離れていて、釈迦(黄頭)も達磨(碧眼)もよく見分けねばならない。南も北も東も西も、さあ帰ろう。夜更けに、ともに千の峰の雪を眺める。
解説
雪竇が第五十一則に付けた頌である。冒頭で「末後の句、君が為に説く」と言い切りながら、実際に示されるのは明と暗、生と死が並び立つ時節という情景である。同じ師に学んだ雪峰と巌頭は互いをよく知っているが、その働き方はまるで異なり、それは釈迦や達磨でも見分けねばならないほどだという。結びの「夜深けて同じく看る千巌の雪」は、違いを抱えたまま同じ景色を見る二人の姿として味わえる。似た経歴の同僚でも持ち味は違うと認めたうえで、同じ目標を見るという協働のあり方を思わせる一首である。
この章句が説くこと
雪竇頌末後句明暗生死同条
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『碧巌録』第五十一則「末後の句、君が為に説く」。雪竇、此の末後の句を頌す。他の意、極めて落草相為すること有り。頌は則ち殺だ頌するも、只だ毛彩些子を頌するのみ。若し透見せんと要せば、也た未だしきこと在り。更に敢へて大口を開いて便ち道ふ、「明暗双双底の時節」と。爾が与に一綫の路を開き、亦た爾が与に一句に打殺し了れり。末後に更に爾が与に注解す。只だ招慶、一日羅山に問うて云ふが如し、「巌頭道ふ、恁麼恁麼、不恁麼不恁麼と。意旨如何」。羅山召して云く、「大師」。師応諾す。山云く、「双明亦双暗」。慶、礼謝して去る。三日の後、又た問ふ、「前日和尚の垂慈を蒙るも、只だ是れ看不破なり」。山云く、「尽情、爾に向かつて道ひ了れり」。慶云く、「和尚は是れ火を把つて行く」。山云く、「若し恁麼ならば、大師の疑処に拠つて問ひ将ち来たれ」。慶云く、「如何なるか是れ双明亦双暗」。山云く、「同生亦同死」。慶、当時礼謝して去る。後に僧有り、招慶に問ふ、「同生亦同死の時如何」。慶云く、「狗口を合取せよ」。僧云く、「大師、口を収取して飯を喫せよ」。其の僧却つて来たりて羅山に問うて云く、「同生不同死の時如何」。山云く、「牛の角無きが如し」。僧云く、「同生亦同死の時如何」。山云く、「虎の角を戴くが如し」。末後の句は、正に是れ這箇の道理なり。
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『碧巌録』第五十一則徳山、斎晩し、老子自ら鉢を捧げて法堂に下り去る。巌頭道ふ、「大小の徳山、未だ末後の句を会せざること在り」。雪竇拈じて云く、「曽て聞く、箇の独眼竜を説くと。元来只だ一隻眼を具するのみ。殊に知らず、徳山は是れ箇の無歯の大虫なることを。若し是れ巌頭の識破するにあらずんば、争でか昨日と今日と同じからざることを知り得ん」。諸人、末後の句を会せんと要すや。只だ老胡の知るを許して、老胡の会するを許さず。古より今に及ぶまで、公案万別千差、荊棘の林の如くに相似たり。爾若し透得し去らば、天下の人も奈何ともせず、三世の諸仏も下風に立在せん。爾若し透不得ならば、巌頭道ふ、「雪峰は我と同条に生ずと雖も、我と同条に死せず」と。只だ這の一句、自然に出身の処有り。雪竇頌して云く。
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『碧巌録』第五十一則挙す。雪峰庵に住せし時、両僧有り来たりて礼拝す。峰来たるを見て、手を以て庵門を托し、身を放ちて出でて云く、「是れ什麼ぞ」。僧も亦た云く、「是れ什麼ぞ」。峰、低頭して庵に帰る。僧、後に巌頭に到る。頭問ふ、「什麼の処よりか来たる」。僧云く、「嶺南より来たる」。頭云く、「曽て雪峰に到るや」。僧云く、「曽て到る」。頭云く、「何の言句か有る」。僧、前話を挙す。頭云く、「他、什麼とか道ふ」。僧云く、「他、無語にして低頭して庵に帰る」。頭云く、「噫、我当初、悔ゆらくは他に末後の句を道はざりしことを。若し伊に道はば、天下の人、雪老を奈何ともせじ」。僧、夏末に至り、再び前話を挙して請益す。頭云く、「何ぞ早く問はざる」。僧云く、「未だ敢へて容易にせず」。頭云く、「雪峰は我と同条に生ずと雖も、我と同条に死せず。末後の句を識らんと要せば、只だ這れ是なり」。
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『碧巌録』第五十一則羅山の会下に僧有り、便ち這箇の意を用ひて、問ひを招慶に致す。慶云く、「彼此皆知る」。何が故ぞ。我若し東勝身洲に一句を道へば、西瞿耶尼洲も也た知る。天上に一句を道へば、人間も也た知る。心心相知り、眼眼相照らす。同条に生ずるや則ち猶ほ見易し。同条に死せざるや還た殊絶す。釈迦・達磨も也た摸索不著なり。南北東西、帰去来、些子の好境界有り。夜深けて同じく看る千巌の雪。且く道へ、是れ双明双暗か、是れ同条生か、是れ同条死か。具眼の衲僧、試みに甄別し看よ。
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『碧巌録』第四十二則雪団打、雪団打、龐老の機関把るべき没し。天上人間自ら知らず、眼裏耳裏絶えて瀟灑。瀟灑絶、碧眼の胡僧も弁別し難し。
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