碧巌録 / 第四十三則
黃龍新和尚拈云。洞山袖頭打領腋下剜襟。爭柰這僧不甘。如今有箇出來問黃龍。且道如何支遣。良久云。安禪不必須山水。滅却心頭火自涼。諸人且道。洞山圈繢落在什麼處。若明辨得。始知洞山下五位回互正偏接人。不妨奇特。到這向上境界。方能如此。不消安排。自然恰好。所以道。正中偏。三更初夜月明前。莫怪相逢不相識。隱隱猶懷舊日嫌。偏中正失。曉老婆逢古鏡。分明覿面更無真。休更迷頭還認影。正中來。無中有路出塵埃。但能不觸當今諱。也勝前朝斷舌才。偏中至。兩刃交鋒不須避。好手還同火裏蓮。宛然自有衝天氣。兼中到。不落有無誰敢和。人人盡欲出常流。折合還歸炭裏坐。
新字:黄竜新和尚拈云。洞山袖頭打領腋下剜襟。争柰這僧不甘。如今有箇出来問黄竜。且道如何支遣。良久云。安禅不必須山水。滅却心頭火自涼。諸人且道。洞山圏繢落在什麼処。若明弁得。始知洞山下五位回互正偏接人。不妨奇特。到這向上境界。方能如此。不消安排。自然恰好。所以道。正中偏。三更初夜月明前。莫怪相逢不相識。隠隠猶懐旧日嫌。偏中正失。暁老婆逢古鏡。分明覿面更無真。休更迷頭還認影。正中来。無中有路出塵埃。但能不触当今諱。也勝前朝断舌才。偏中至。両刃交鋒不須避。好手還同火裏蓮。宛然自有衝天気。兼中到。不落有無誰敢和。人人尽欲出常流。折合還帰炭裏坐。
書き下し
黄龍新和尚拈じて云く、「洞山、袖頭に領を打し、腋下に襟を剜る。争奈せん這の僧甘ぜざることを。如今箇有りて出で来たつて黄龍に問はば、且く道へ如何が支遣せん」。良久して云く、「安禅は必ずしも山水を須ひず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」。諸人且く道へ、洞山の圏繢、什麼の処にか落在す。若し明らかに弁得せば、始めて知らん洞山下の五位、回互正偏して人を接すること、妨げず奇特なることを。這の向上の境界に到つて、方に能く此くの如し。安排を消ひず、自然に恰好なり。所以に道ふ、「正中偏、三更初夜月明の前、怪しむ莫かれ相逢うて相識らざることを、隠隠として猶ほ旧日の嫌を懐く。偏中正、失暁の老婆古鏡に逢ふ、分明に覿面して更に真無し、休めよ更に頭に迷うて還つて影を認むることを。正中来、無中に路有りて塵埃を出づ、但だ能く当今の諱に触れずんば、也た前朝の断舌の才に勝らん。偏中至、両刃鋒を交へて避くることを須ひず、好手は還つて火裏の蓮に同じ、宛然として自ら衝天の気有り。兼中到、有無に落ちず誰か敢へて和せん、人人尽く常流を出でんと欲す、折合して還つて炭裏に帰して坐す」。
現代語訳
黄龍新和尚がこの話を取り上げて言った。「洞山は袖口に襟を付け、腋の下に襟をくり抜いた(ぴたりと仕立てた)。だがこの僧が納得しないのはどうしようもない。今もし誰かが出て来て黄龍に問うたら、さあ言ってみよ、どうさばくか」。しばらく黙って言った。「坐禅に安んずるには必ずしも山水は要らない。心の火を消し去れば火もおのずから涼しい」。皆さん、さあ言ってみよ。洞山の仕掛けた罠はどこにあるか。もしはっきり見分けられれば、洞山門下の五位が正と偏とを互いにめぐらせて人を導くことが、すこぶる優れていると初めて分かるだろう。この向上の境地に到ってこそ、このようにできる。手配りをする必要もなく、自然にぴたりと合う。それゆえこう言う。「正中偏。夜更けの初め、月が明るく照る前、出会っても見知らぬことを怪しむな、なおうっすらと昔の嫌疑を抱いている。偏中正。寝過ごした老婆が古い鏡に出会う、はっきり顔を合わせてもほかに真はない、もう頭を見失って影を本物と思い込むのはやめよ。正中来。無の中に道があって塵埃を抜け出る、ただ今の世の忌み名に触れなければ、前の王朝の舌を断たれた才人にも勝るだろう。偏中至。両刃が鋒を交えても避けるには及ばない、腕利きはかえって火の中の蓮と同じ、ありありと天を衝く気概がある。兼中到。有にも無にも落ちず、誰があえて唱和しようか、人々は皆、常の流れから抜け出ようとするが、結局は折り合って炭の中に戻って座る」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第四十三則浮山遠録公、此の公案を以て五位の格と為す。若し一則を会得せば、余は自然に会し易し。巌頭道ふ、「水上の葫蘆子の如くに相似たり、捺著すれば便ち転ず」。殊に糸毫の気力を消ひず。曾て僧有り洞山に問ふ、「文殊・普賢来参する時如何」。山云く、「水牯牛群裏に趕向し去れ」。僧云く、「和尚地獄に入ること箭の如し」。山云く、「全く他の力を得たり」。洞山道ふ、「何ぞ無寒暑の処に向かつて去らざる」。此れは是れ偏中正。僧云く、「如何なるか是れ無寒暑の処」。山云く、「寒時は闍黎を寒殺し、熱時は闍黎を熱殺す」。此れは是れ正中偏。正なりと雖も却つて偏、偏なりと雖も却つて円。曹洞録中に備さに子細を載す。若し是れ臨済下ならば、許多の事無し。這般の公案、直下に便ち会す。有る者道ふ、「大好し無寒暑、什麼の巴鼻か有らん」。古人道ふ、「若し剣刃上に向かつて走らば則ち快く、若し情識上に向かつて見れば則ち遅し」。見ずや、僧、翠微に問ふ、「如何なるか是れ祖師西来の意」。微云く、「人の来たること無きを待つて、汝に向かつて道はん」。遂に園中に入つて行く。僧云く、「此の間人無し、請ふ和尚道へ」。微、竹を指して云く、「這の一竿の竹は恁麼に長きことを得、那の一竿の竹は恁麼に短きことを得たり」。其の僧忽然として大悟す。又曹山、僧に問ふ、「恁麼に熱し、什麼の処に向かつてか迴避せん」。僧云く、「鑊湯炉炭裏に迴避せん」。山云く、「鑊湯炉炭裏、如何が迴避せん」。僧云く、「衆苦も到ること能はず」。看よ他の家裏の人、自然に他の家裏の人の説話を会す。雪竇、他の家裏の事を用ひて頌出す。
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『碧巌録』第四十三則獹(字音の注)。曹洞下に出世・不出世有り、垂手・不垂手有り。若し出世せずんば目は雲霄を視、若し出世せば便ち灰頭土面。目雲霄を視るは即ち是れ万仞峰頭、灰頭土面は即ち是れ垂手辺の事。有る時は灰頭土面即ち万仞峰頭に在り、有る時は万仞峰頭即ち是れ灰頭土面。其の実、鄽に入り手を垂るると、孤峰に独立すると一般なり。帰源了性と差別智と異なること無し。切に忌む両橛の会を作すことを。所以に道ふ、「垂手還つて万仞の崖に同じ」。直に是れ汝が湊泊する処無し。「正偏何ぞ必ずしも安排に在らん」。若し用ふる時に到らば、自然に此くの如し、安排に在らざるなり。此れは洞山の答処を頌す。後面に道ふ、「瑠璃の古殿明月を照らす、忍俊たる韓獹空しく階を上る」。此れは正に這の僧の言語を逐うて走るを頌す。洞下に此の石女・木馬・無底籃・夜明珠・死蛇等十八般有り、大綱只だ正位を明かす。月の瑠璃の古殿を照らして、円影有るに似たるが如し。洞山答へて道ふ、「何ぞ無寒暑の処に向かつて去らざる」。其の僧一に韓獹の塊を逐ふに似て、連忙として階を上り、其の月影を捉ふるに相似たり。又問ふ、「如何なるか是れ無寒暑の処」。山云く、「寒時は闍黎を寒殺し、熱時は闍黎を熱殺す」。韓獹の塊を逐うて走つて階上に到り、又却つて月影を見ざるが如し。韓獹は乃ち戦国策に出づ。云く、「韓氏の獹は駿狗なり、中山の兔は狡兔なり」。是れ其の獹にして方に能く其の兔を尋ぬ。雪竇引いて以て這の僧に喩ふるなり。只だ諸人の如きは、還つて洞山の為人の処を識るや。良久して云く、「甚の兔子をか討ねん」。
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『碧巌録』第四十三則挙す。僧、洞山に問ふ、「寒暑到来す、如何が迴避せん」。山云く、「何ぞ無寒暑の処に向かつて去らざる」。僧云く、「如何なるか是れ無寒暑の処」。山云く、「寒時は闍黎を寒殺し、熱時は闍黎を熱殺す」。
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『碧巌録』第八十二則此の事、若し言語上に向つて覓めば、一に棒を掉つて月を打つが如し、且く没交渉なることを得ん。古人分明に道ふ、「親切なることを得んと欲せば、問を将ち来つて問ふこと莫れ」と。何が故ぞ。問は答処に在り、答は問処に在り。這の僧、一檐の莽鹵を担ひて、一檐の鶻突に換へ、箇の問端を致す、敗缺少なからず。若し是れ大龍にあらずんば、争でか天を蓋ひ地を蓋ふことを得ん。他恁麼に問ひ、大龍恁麼に答ふ、一合相にして、更に一糸毫頭をも移易せず。一に兔を見て鷹を放ち、孔を看て楔を著くるに似たり。三乗十二分教に、還た這箇の時節有りや。也た妨げず奇特なることを。只だ是れ言語味無くして、人の口を杜塞す。是の故に道ふ、「一片の白雲谷口に横たはり、幾多の帰鳥か夜巣に迷ふ」と。有る者は道ふ、只だ是れ口に信せて答へ将ち去ると。若し恁麼に会せば、尽く是れ胡の種族を滅する漢なり。殊に知らず、古人の一機一境は枷を敲き鎖を打し、一句一言は渾金璞玉なることを。若し是れ衲僧の眼脳ならば、有る時は把住し、有る時は放行し、照用同時、人境俱に奪ひ、双放双収、時に臨んで通変す。
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『碧巌録』第五十六則此に頌する数句は、帰宗の頌中の語を取る。帰宗昔日、因みに此の頌を作り、号して帰宗と曰ふ。宗門中、之を宗旨の説と謂ふ。後来同安之を聞いて云く、「良公善く能く箭を発するも、要且つ中的を解せず」。僧有り便ち問ふ、「如何にしてか中的することを得ん」。安云く、「関中の主は是れ什麼人ぞ」。後に僧有り欽山に挙似す。山云く、「良公若し恁麼ならば、也た未だ欽山の口を免れ得ず」。是の如くなりと雖も、同安は是れ好心ならず。雪竇道ふ、「君が与に関中の主を放出す」と。眼を開くも也た著し、眼を合するも也た著す。有形無形、尽く斬つて三段と為す。「箭を放つの徒莽鹵なること莫かれ」。若し善く能く箭を放たば、則ち莽鹵ならず。若し善く放たずんば、則ち莽鹵なること知るべし。「箇の眼を取れば耳必ず聾し、箇の耳を捨つれば目双つながら瞽す」。且く道へ、箇の眼を取れば、什麼としてか却つて耳聾し、箇の耳を捨つれば、什麼としてか却つて双つながら瞽する。此の語は取捨無くして、方に能く透得す。若し取捨有らば則ち見難し。「憐れむべし一鏃三関を破る、的的分明なり箭後の路」。良禅客問ふ、「一鏃三関を破る時如何」。欽山云く、「関中の主を放出し看よ」。乃至末後の同安の公案まで、尽く是れ箭後の路なり。畢竟作麼生。
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『碧巌録』第十二則所以に道ふ、鉤を四海に垂るるは只だ獰龍を釣る、格外の玄機は知己を尋ねんが為なり。雪竇は是れ陰界を出づる底の人、豈に這般の見解を作さんや。雪竇軽軽に去きて関を敲き節を撃つ処、略ぼ些子を露はして爾をして見せしむ。便ち箇の注脚を下して道ふ、善く応じて何ぞ曾て軽触有らんと。洞山軽しく這の僧に酬いず。鐘の扣くに在るが如く、谷の響きを受くるが如く、大小随つて応じ、敢へて軽しく触れず。雪竇一時に心肝五臓を突出して、爾諸人に呈似し了れり。雪竇に静にして善く応ずるの頌有りて云く、覿面に相呈す、多端に在らず。龍蛇は弁じ易く、衲子は瞞じ難し。金鎚影動き、宝剣光寒し。直下に来たる、急ぎ眼を著けて看よ。
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