碧巌録 / 第三十四則
驗人端的處。下口便知音。古人道。沒量大人。向語脈裏轉却。若是頂門具眼。舉著便知落處。看他一問一答。歷歷分明。雲門為什麼却道。此語皆為慈悲之故。有落草之談。古人到這裏。如明鏡當臺明珠在掌。胡來胡現漢來漢。現一箇蠅子也過他鑑不得。且道作麼生是慈悲之故有落草之談。也不妨險峻。到這田地。也須是箇漢始可提掇。雲門拈云這僧親從廬山來。因什麼却道。闍黎不曾遊山溈山。一日問抑山云。諸方若有僧來。汝將什麼驗他。仰山云。某甲有驗處。溈山云。子試舉看。仰云。某甲尋常見僧來。只舉拂子向伊道。諸方還有這箇麼。待伊有語只向伊道。這箇即且置。那箇如何。溈山云。此是向上人牙爪。
新字:験人端的処。下口便知音。古人道。没量大人。向語脈裏転却。若是頂門具眼。舉著便知落処。看他一問一答。歴歴分明。雲門為什麼却道。此語皆為慈悲之故。有落草之談。古人到這裏。如明鏡当台明珠在掌。胡来胡現漢来漢。現一箇蠅子也過他鑑不得。且道作麼生是慈悲之故有落草之談。也不妨険峻。到這田地。也須是箇漢始可提掇。雲門拈云這僧親従廬山来。因什麼却道。闍黎不曽遊山溈山。一日問抑山云。諸方若有僧来。汝将什麼験他。仰山云。某甲有験処。溈山云。子試舉看。仰云。某甲尋常見僧来。只舉払子向伊道。諸方還有這箇麼。待伊有語只向伊道。這箇即且置。那箇如何。溈山云。此是向上人牙爪。
書き下し
人の端的を験する処、口を下せば便ち音を知る。古人道ふ、没量の大人も、語脈裏に向いて転却せらると。若し是れ頂門に眼を具せば、挙著すれば便ち落処を知る。看よ他の一問一答、歴歴分明なることを。雲門什麼としてか却つて道ふ、此の語は皆慈悲の為の故に、落草の談有りと。古人這裏に到りては、明鏡の台に当たり、明珠の掌に在るが如し。胡来たれば胡現じ、漢来たれば漢現ず。一箇の蠅子も也た他の鑑を過ぎ得ず。且く道へ、作麼生か是れ慈悲の為の故に落草の談有る。也た険峻なることを妨げず。這の田地に到りては、也た須らく是れ箇の漢にして始めて提掇すべし。雲門拈じて云く、這の僧親しく廬山より来る、什麼に因りてか却つて道ふ、闍黎曾て山に遊ばずと。溈山一日仰山に問うて云く、諸方若し僧の来る有らば、汝什麼を将てか他を験せん。仰山云く、某甲験する処有り。溈山云く、子試みに挙し看よ。仰云く、某甲尋常僧の来るを見ては、只だ払子を挙して伊に向かつて道ふ、諸方還た這箇有りやと。伊が語有るを待ちて、只だ伊に向かつて道ふ、這箇は即ち且く置く、那箇は如何と。溈山云く、此れは是れ向上人の牙爪なり。
現代語訳
人の本当のところを確かめる場では、口を開けばすぐにその響きがわかる。古人は「測り知れない大人物でも、言葉の流れの中で転ばされる」と言った。もし頭頂に眼を具えた者なら、取り上げただけで要のところがわかる。見よ、この一問一答の、ありありとはっきりしていることを。雲門はなぜかえって「この言葉はみな慈悲のために、草の中に降りて語ったものだ」と言ったのか。古人はここに至ると、明るい鏡が台に掛かり、明るい珠が手のひらにあるようである。胡人が来れば胡人が映り、漢人が来れば漢人が映る。一匹の蠅でさえ、その鏡を素通りすることはできない。さて言ってみよ、慈悲のために草の中に降りて語ったとはどういうことか。これもまた険しく鋭いことに変わりはない。この境地に至っては、ひとかどの男であってはじめて取り上げることができる。雲門はこれを取り上げて言った、「この僧はまさしく廬山から来たのに、なぜ仰山はかえって、お前は山に遊んだことがないと言ったのか」。溈山がある日、仰山に問うた、「諸方から僧が来たら、お前は何でその者を確かめるか」。仰山は言った、「わたしには確かめるところがあります」。溈山は言った、「試しに挙げてみよ」。仰山は言った、「わたしはふだん僧が来ると、ただ払子を立てて、諸方にもこれがあるか、と言います。相手が何か言うのを待って、ただ、これはひとまず置こう、あれはどうか、と言います」。溈山は言った、「これは向上の人の牙と爪だ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第三十四則挙す。仰山僧に問ふ、近離甚れの処ぞ。僧云く、廬山。山云く、曾て五老峰に遊ぶや。僧云く、曾て到らず。山云く、闍黎曾て山に遊ばず。雲門云く、此の語は皆慈悲の為の故に、落草の談有り。
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『碧巌録』第三十四則豈に見ずや、馬祖百丈に問ふ、什麼の処よりか来る。丈云く、山下より来る。祖云く、路上還た一人に逢著するや。丈云く、曾て逢はず。祖云く、什麼としてか曾て逢著せざる。丈云く、若し逢著せば、即ち和尚に挙似せん。祖云く、那裏より這の消息を得来る。丈云く、某甲の罪過。祖云く、却つて是れ老僧の罪過。仰山の僧に問ふ、正に此に相類す。当時他が曾て五老峰に到るやと道ふを待ちて、這の僧若し是れ箇の漢ならば、但だ禍事と云はん。却つて曾て到らずと道ふ。這の僧既に作家ならず、仰山何ぞ令に拠つて行ぜずして、後面の許多の葛藤を見ることを免れざる。却つて云く、闍黎曾て山に遊ばずと。所以に雲門道ふ、此の語は皆慈悲の為の故に、落草の談有りと。若し是れ出草の談ならば、則ち恁麼ならず。
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『碧巌録』第三十六則且く道へ、這の公案、仰山僧に問ふ、近離甚れの処ぞ、僧云く、廬山、仰云く、曾て五老峰に到るや、僧云く、曾て到らず、仰云く、闍黎曾て山に遊ばずと、緇素を辨じ看よ、是れ同か是れ別か。這裏に到りては、須らく是れ機関尽き意識忘じて、山河大地、草芥人畜、些子の滲漏も無かるべし。若し此の如くならずんば、古人之を猶ほ勝妙の境界に在りと謂ふ。見ずや、雲門道ふ、直に山河大地に繊毫の過患無きことを得るも、猶ほ転物と為す。一切の色を見ざるも、始めて是れ半提なり。更に須らく全提の時節、向上の一竅有ることを知りて、始めて穏坐を解すべしと。若し透得せば、依旧として山は是れ山、水は是れ水、各自位に住し、各本体に当たる。大拍盲の人の如くに相似たり。趙州道ふ、鶏鳴丑、愁へて見る起き来りて還た漏逗することを。裙子褊衫箇も也た無く、袈裟の形相些些有り。裩に襠無く袴に口無し、頭上の青灰三五斗。本修行して人を利済せんが為なるに、誰か知らん翻つて不唧𠺕と成らんとは。
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『碧巌録』第二十四則這の老婆、他の潙山の説話を会し、糸来たり線去り、一放一収、互ひに相酬唱すること、両鏡の相照らして影像の観るべき無きが如し。機機相副ひ、句句相投ず。如今の人は三たび搭するも頭を迴らさず。這の老婆、一点も也た他を瞞き得ず。這箇は却って是れ世諦の情見にあらず。明鏡の台に当たり、明珠の掌に在るが如く、胡来たれば胡現じ、漢来たれば漢現ず。是れ他向上の事有ることを知る、所以に此の如し。如今只管に無事の会を做す。四祖演和尚道ふ、「有事を将って無事と為すこと莫れ、往往事は無事より生ず」と。爾若し参得して透り去らば、他の恁麼なるを見ること、尋常の人の説話の如く一般ならん。多く言語に隔礙せらる、所以に会せず。唯だ是れ知音のみ方に他底を会す。只だ乾峰衆に示して云く、「一を挙して二を挙することを得ず。一著を放過すれば第二に落在す」。雲門衆を出でて云く、「昨日一僧有り、天台より来たって却って南岳に往き去る」。乾峰云く、「典座、今日普請することを得ざれ」。看よ他の両人、放てば則ち双び放ち、収むれば則ち双び収む。潙仰の下には之を境致と謂ふ。風塵草動、悉く端倪を究む。亦之を隔身の句と謂ふ。意通じて語隔たる。這裏に到って、須らく是れ左に撥し右に転じて方に是れ作家なるべし。
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『碧巌録』第二十七則若し箇裏に向かって薦得せば、始めて雲門の為人の処を見ん。其れ或いは未だ然らずんば、旧に依って只だ是れ鹿を指して馬と為し、眼瞎し耳聾す。誰人か這の境界に到らん。且く道へ、雲門は為復是れ他の話に答ふるか、為復是れ他と酬唱するか。若し他の話に答ふと道はば、定盤星を錯認す。若し他と唱和すと道はば、且く交渉没きことを得たり。既に恁麼ならずんば、畢竟作麼生。爾若し見得して透らば、衲僧の鼻孔、一捏を消ひず。其れ或いは未だ然らずんば、旧に依って鬼窟裏に打入し去らん。大凡宗乗を扶竪するには、也た須らく是れ全身に担荷し、眉毛を惜しまず、虎口に向かって身を横たへ、他の横拕倒拽するに任すべし。若し此の如くならずんば、争でか能く人の為にし得ん。這の僧箇の問端を致す、也た妨げず嶮峻なることを。若し尋常の事を以て他を看ば、只だ箇の閑事を管する底の僧に似たり。若し衲僧門下に拠って、命脈裏に去って覷る時は、妨げず妙処有ることを。
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『碧巌録』第三十六則因みに一日遊山して帰る。首座も亦た是れ他の会下の人なり。便ち問ふ、和尚什麼の処にか去来す。沙云く、遊山し来る。座云く、什麼の処にか到り去来す。沙云く、始めは芳草に随ひて去り、又落花を逐うて回る。須らく是れ十方を坐断する底の人にして始めて得べし。古人の出入、未だ嘗て此の事を以て念と為さずんばあらず。看よ他の賓主互換し、当機直截にして、各相饒さざることを。既に是れ遊山す、什麼としてか却つて問うて道ふ、什麼の処にか到り去来すと。若し是れ如今の禅和子ならば、便ち道はん、夾山亭に到り来ると。看よ他の古人は、糸毫の道理計較無く、亦た住著の処無し。所以に道ふ、始めは芳草に随ひて去り、又落花を逐うて回ると。首座便ち他の意に随ひて、他に向かつて道ふ、大いに春意に似たりと。沙云く、也た秋露の芙蕖に滴るに勝れりと。雪竇云く、答語を謝すと。末後の語に代ふるなり。也た両辺に落つ。畢竟這の両辺に在らず。昔張拙秀才有り、千仏名経を看て、乃ち問ふ、百千の諸仏、但だ其の名を聞くのみ、未審し何れの国土にか居る、還た物を化するや也た無しや。沙云く、黄鶴楼に崔顥詩を題して後、秀才曾て題するや也た未だしや。拙云く、未だ曾て題せず。沙云く、閑を得ば一篇を題取するも也た好しと。岑大虫は平生人の為にするに、直に珠回り玉転ずることを得て、人の当面に便ち会せんことを要す。頌に云く、
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