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碧巌録 / 第二十五則

諸人還裁辨得蓮花峯庵主麼。脚跟也未點地在。國初時在天台蓮花峯卓庵。古人既得道之後。茅茨石室中。折脚鐺兒內。煮野菜根喫過日。且不求名利。放曠隨緣。垂一轉語。且要報佛祖恩。傳佛心印。纔見僧來。便拈拄杖云。古人到這裏為什麼不肯住。前後二十餘年。終無一人答得。只這一問。也有權有實。有照有用。若也知他圈繢。不消一揑。爾且道因什麼二十年如此問。既是宗師所為。何故只守一橛。若向箇裏見得。自然不向情塵上走。

新字:諸人還裁弁得蓮花峯庵主麼。脚跟也未点地在。国初時在天台蓮花峯卓庵。古人既得道之後。茅茨石室中。折脚鐺児内。煮野菜根喫過日。且不求名利。放曠随縁。垂一転語。且要報仏祖恩。伝仏心印。纔見僧来。便拈拄杖云。古人到這裏為什麼不肯住。前後二十余年。終無一人答得。只這一問。也有権有実。有照有用。若也知他圏繢。不消一揑。爾且道因什麼二十年如此問。既是宗師所為。何故只守一橛。若向箇裏見得。自然不向情塵上走。

書き下し

諸人還た蓮華峰庵主を裁辨し得るや。脚跟も也た未だ地に点ぜざる在り。国初の時、天台の蓮華峰に在って庵を卓つ。古人既に道を得て後、茅茨石室の中、折脚の鐺児の内に、野菜の根を煮て喫して日を過ごす。且つ名利を求めず、放曠として縁に随ふ。一転語を垂れて、且つ仏祖の恩に報じ、仏の心印を伝へんことを要す。纔かに僧の来たるを見れば、便ち拄杖を拈じて云く、「古人這裏に到って、什麼と為てか住まることを肯ぜざる」。前後二十余年、終に一人の答へ得る無し。只だ這の一問、也た権有り実有り、照有り用有り。若也他の圏繢を知らば、一捏を消ひず。爾且く道へ、什麼に因ってか二十年此の如く問ふ。既に是れ宗師の所為ならば、何が故に只だ一橛を守る。若し箇裏に向かって見得せば、自然に情塵上に向かって走らず。

現代語訳

皆はこの蓮華峰の庵主を見分けることができるか。足の裏もまだ地に着いていない。宋の初めの頃、天台山の蓮華峰に庵を構えていた。古人は道を得たのち、茅葺きや石の室の中で、脚の折れた鍋で野菜の根を煮て食べて日々を過ごした。名誉も利益も求めず、のびのびと縁に任せて生きた。一転語を垂れて、仏祖の恩に報い、仏の心の印を伝えようとしたのである。僧が来るのを見るや、拄杖を手に取って「古人はここに至って、なぜとどまろうとしなかったのか」と言った。前後二十年余り、ついに一人も答えられる者はいなかった。ただこの一つの問いにも、方便があり真実があり、照らす働きがあり用いる働きがある。もし彼の仕掛けた罠を知るなら、ひとつまみの力もいらない。さあ言ってみよ、なぜ二十年もこのように問い続けたのか。宗師のすることなのに、なぜただ一本の杭だけを守っているのか。もしここで見て取れるなら、自然と情の塵の上を走り回ることはなくなる。

解説

第二十五則の本則に対する圜悟の評唱の冒頭である。蓮華峰庵主は宋初に天台山に庵を結び、脚の折れた鍋で野菜の根を煮て暮らし、名利を求めず縁に任せて生きた。そして二十年余り、来る僧ごとに同じ一問を投げかけたが、答えられる者はいなかった。圜悟は、この一問に権と実、照と用がそろっていると言い、なぜ宗師が一つの杭だけを守り続けたのかと問う。一つの問いを生涯かけて投げ続ける姿勢は、本質的な問いほど簡単には答えが出ないことを教えている。質素な暮らしの中で磨かれた一問だからこそ、二十年の重みを持つのである。

この章句が説くこと

蓮華峰庵主一問名利問い修行権実

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