兵術要訓抄録 / 下人の死に物狂い
定て手討にあふならん、所詮なき命なれば我刀を其方にあたふる間、予を切て立去べし、左なくば先方の手討にあふべしと、主人申されしに、下人の曰、御主人と申天下に名高き御身無手の我々しきいかゞなすべきや、御免下さるべしと申せしが、主人曰、予は未死にものぐるひを相手にしたるヿなし、試の爲なれば其方所詮喪命ゆへ試に相手となすなり、力限りに働くべしと申されしが、下人の曰、然らば御相手になるべしとて、夫より勝負をしたるとき、主人何某思はず後へ退けるが、終に塀ぎはまで追つめられ、既に危く見へし處、えいと一聲發して下人を大袈裟に切しヿなり、見物したる弟子に向ひ、扨々死にものゝ狂ひは手剛き物也、如此無益のヿどもし玉ふべからず、無手の下郎さへ如此、况や一流鍛練のものなど死もの狂に働ば手にたつものも有るまじきなりと云、弟子問曰、先生追つめられ玉ふは、實に追つめられ玉ふか、又僞て退き玉ふかと問、師の曰、
新字:定て手討にあふならん、所詮なき命なれば我刀を其方にあたふる間、予を切て立去べし、左なくば先方の手討にあふべしと、主人申されしに、下人の曰、御主人と申天下に名高き御身無手の我々しきいかゞなすべきや、御免下さるべしと申せしが、主人曰、予は未死にものぐるひを相手にしたるヿなし、試の為なれば其方所詮喪命ゆへ試に相手となすなり、力限りに働くべしと申されしが、下人の曰、然らば御相手になるべしとて、夫より勝負をしたるとき、主人何某思はず後へ退けるが、終に塀ぎはまで追つめられ、既に危く見へし処、えいと一声発して下人を大袈裟に切しヿなり、見物したる弟子に向ひ、扨々死にものゝ狂ひは手剛き物也、如此無益のヿどもし玉ふべからず、無手の下郎さへ如此、況や一流鍛練のものなど死もの狂に働ば手にたつものも有るまじきなりと云、弟子問曰、先生追つめられ玉ふは、実に追つめられ玉ふか、又偽て退き玉ふかと問、師の曰、
書き下し
定て手討にあふならん、所詮なき命なれば我刀を其方にあたふる間、予を切て立去べし、左なくば先方の手討にあふべしと、主人申されしに、下人の曰、御主人と申天下に名高き御身無手の我々しきいかゞなすべきや、御免下さるべしと申せしが、主人曰、予は未死にものぐるひを相手にしたるヿなし、試の爲なれば其方所詮喪命ゆへ試に相手となすなり、力限りに働くべしと申されしが、下人の曰、然らば御相手になるべしとて、夫より勝負をしたるとき、主人何某思はず後へ退けるが、終に塀ぎはまで追つめられ、既に危く見へし處、えいと一聲發して下人を大袈裟に切しヿなり、見物したる弟子に向ひ、扨々死にものゝ狂ひは手剛き物也、如此無益のヿどもし玉ふべからず、無手の下郎さへ如此、况や一流鍛練のものなど死もの狂に働ば手にたつものも有るまじきなりと云、弟子問曰、先生追つめられ玉ふは、實に追つめられ玉ふか、又僞て退き玉ふかと問、師の曰、
現代語訳
きっと手討ちにあうだろう。どうせなくなる命なのだから、私の刀をおまえに与える。私を切って立ち去れ。そうでなければ先方の手討ちにあうだろう、と主人が言われました。すると下人は、ご主人と申せば天下に名高いお方に、腕のない私がどうして立ち向かえましょう、ご勘弁くださいと言いました。主人は、私はまだ死に物狂いを相手にしたことがない。試しのために、おまえはどうせ命を失うのだから、試しに相手にするのだ、力の限り働け、と言われました。下人が、それでは御相手になりましょうと言って、勝負をしたところ、主人の何某は思わず後ろへ退き、ついに塀際まで追いつめられ、すでに危うく見えたとき、えいと一声を発して、下人を大袈裟に切りました。見物していた弟子に向かって、いやはや、死に物狂いは手ごわいものだ。このような無益なことはなさるな。腕のない下郎でさえこのとおりだ。まして一流を鍛錬した者などが死に物狂いに働けば、手に立つ者もあるまい、と言いました。弟子が、先生が追いつめられなさったのは、本当に追いつめられなさったのですか、それとも偽って退かれたのですか、と問うと、師が言うには、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『兵術要訓抄録』・追いつめられた妙實に追つめられしなり、下郎の刄するどくして、計らず跡へよりし也と答、弟子又問、聲を發して切り玉ふは、透ありてきり玉ふか、師の曰、聊も透なし、然りといへども切る所は妙也、と答へられしよし、此妙といふは我心より出るものにあらず不動心の妙なり、如此天下の達人さへ無手の下郎にあぐみしなり、又無手なればとて命を捨るときは如此、兎角武士は勇なくてはならざるものなり、是をよく考へ剛敵にあふとも恐るゝ事なく、猛火といへども飛越すの塲を決心の初として修行すべし、然るときは自然と誠の決心の塲調ふべし、併し是は過陽になれと云にはあらず臆を去て勇を固るヿなり、又勇なくして決心をしらざれば勝負にのぞむとき、敵に恐れ擊とも突とも定りなく正氣を失ひ、譬へば山中にて方角を失ひ、路に迷ひし人の如く心散亂するゆへ、百度戰ふとも勝利を得るヿならざる也、又猛火四方に滿、其中に居るときは迯ものがるべき道なし、
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『兵術要訓抄録』・決心の初め常は人倫の道を專務べき事、人の根本なれども、其塲にのぞむ時は主親妻子にひかるゝ念をすて前に敵なし後に公なしと思ひ、我身を忘れずんば勝利得がたし、勿論決心の修行は先剛敵を恐ざるを決心の初とすべし、たとへば四方猛火盛なる其中に居るときはのがるゝの塲なし、此時決心するには迯も遁れがたき事なれば猛火を越て死すべしと思ひ、彼盛なる火を飛越す時は千に一ものがるゝヿも有るべし、如此剛敵に向ひ、所詮薄手一つもあぶせるヿはならずとも、首をのべてきらるゝは勇なし、假令達人なればとて猛火を飛越す心得にて首はとらるゝとも、せめて片腕にても切心得に成時は、如何なる剛敵にも容易に負るヿにはあらず、去一刀流の達人何某召仕の下人、他の歷々の方へ不禮をしたるゆへ先方より下人を所望せられし時、彼下人を呼て其方何某殿へ不禮をなしたるゆへ、其方を所望せられしなり、不便にはをもへども無是非其方をつかはすべし、
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『文武訓』武訓上一人を切りて刀を鞘にをさめず、手にもちて逃け去る者に途中にて行きあひたる時、彼の者我に手むかひせずば、其切りたる理を知らずして、妄に彼と切合ふべからず。遠よりよぎて通すべし。あとより追ひ来る人、其者をうちとめよと、遠ながら言をかけたりとも、其切りたる仔細を知らで、みだりにたたかふべからず。其人を切れる故をたづねて、其者妄に人をころせしとかたらば、追来る者と共に追ひかけ行くべし。追来る者に切らせ、是を助くべし。或はわが切らんも、亦其時宜によるべし。もしは、父兄主君などの敵をうちてのく者ならば、追行くべからず。君父のかたき打ちたる忠孝の道あれば、人を切りたりとて、きることなかれうつことなかれ。およそのこと、用心は臆病にせよ、心は剛にもつべしと、義貞軍記にいへる俗語のごとくにすべし。
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『兵法家伝書』殺人刀「打にうたれよ」一 打にうたれよ、うたれて勝ッ心持之事 人を一刀きる事はやすし、人にきられぬ事は成がたき物也、人はきるとおもふて打つけふともまゝよ、身にあたらぬつもりを、とくと合點して、おどろかず、敵にうたるゝ也、敵はあたると思ふてうてども、つもりあれば、あたらぬ也、あたらぬ太刀は死太刀也、そこをこちから越シて打て勝也、敵のする先ははづれて、我返て先の太刀を敵へ入ル也、一太刀打てからは、はや手はあけさせぬ也、打てよりまうかうよとおもふたらば、二の太刀は又敵にかならずうたるべし、爰にて、油斷して負る也、うつた所に心がとまる故、敵にうたれ、先の太刀を、無にする也、打たる所にきれうときれまいとまゝ、心をとゞむな、二重三重猶四重五重も打べき也、敵に顏を揚させぬ也、勝事は一太刀にて定る也
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『兵術要訓抄録』・畠水練の兵術者當時試會刀勝負にて、我才覺を以て勝利を得るといへども、畠水練の兵術者多き也、其譯は、試會刀は竹に皮をきせたるものにて、討れても突れても深疵を受る程の事はなし、故に肉心の兵術者たりとも、才覺を以て勝事も有るべし、眞劔の障ても、命に抱る勝負には、肉心の才覺にては、其塲を經がたし、當時臆病なる肉心の兵術者抔、いさゝかの理を以て試會刀勝負に勝てば我は達人と思ふ、大なる誤也、中々試會刀勝負の小刀細工にて心を安んぜば大なる過あらん、兎角眞劔勝負の理を考へ、剛敵にあふとも一心不動の修行すべし、又當時戰塲の働なきゆへ、眞劔勝負を試る事はならざる故、眞劔の塲にての心の强弱動靜を知る事ならずと云へども、
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『武訓』上・第23段人を切りて、刀をさやにをさめず、手にもちてにげ去る者に、途中にて行きあひたる時、彼の者、我に手むかひせずば、其の切りたる理をしらずして、妄に彼と切合ふべからず。遠よりよきて通すべし。あとよりおひ來る人、其の者をうちとめよと、遠ながら言をかけたりとも、其の切りたる子細をしらで、みだりにたゝかふべからず。其の人を切れる故をたづねて、其の者、妄に人をころせしとかたらば、追來る者と共に、おひかけ行くべし。追來る者にきらせ、是を助くべし。或は、わが切らんも、亦、其の時宜によるべし。もしは、父兄主君などの敵をうちてのく者ならば、追行くべからず。君父のかたき打ちたる忠孝の道あれば、人を切りたるとて、きることなかれ、うつことなかれ。およそのこと、用心は臆病にせよ心は剛にもつべしと、義貞軍記にいへる、俗語のごとくにすべし。

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