兵法家伝書 / 殺人刀初重後重の用
こたへて云ク初重後重と二ッたてたるは此用なり、初重の心持を修行して、修行積ぬれば、着をさらんとおもわずして、ひとり着がはなるゝ也、病氣と云は着なり、佛法に深く着をきらふ也、着をはなれたる僧は俗塵にまじりてもそまず何事をなすも自由にしてとゞまる所がない者也、諸道の達者、其わざ〱の上に付て、着がはなれずば、名人とはいはるまじき也、みがゝざる玖は塵ほこりが附也、みがきぬきたる玉は泥中に入てもけがれぬ也、修行をもつて、心の玉をば、みがきてけがれにそまぬ樣にして、病にまかせて、心をすてきつて、行き度樣にやるべき也。僧問古德、如何是道、古德答曰ク平等心是道。
新字:こたへて云ク初重後重と二ッたてたるは此用なり、初重の心持を修行して、修行積ぬれば、着をさらんとおもわずして、ひとり着がはなるゝ也、病気と云は着なり、仏法に深く着をきらふ也、着をはなれたる僧は俗塵にまじりてもそまず何事をなすも自由にしてとゞまる所がない者也、諸道の達者、其わざ〱の上に付て、着がはなれずば、名人とはいはるまじき也、みがゝざる玖は塵ほこりが附也、みがきぬきたる玉は泥中に入てもけがれぬ也、修行をもつて、心の玉をば、みがきてけがれにそまぬ様にして、病にまかせて、心をすてきつて、行き度様にやるべき也。僧問古徳、如何是道、古徳答曰ク平等心是道。
書き下し
こたへて云ク初重後重と二ッたてたるは此用なり、初重の心持を修行して、修行積ぬれば、着をさらんとおもわずして、ひとり着がはなるゝ也、病氣と云は着なり、佛法に深く着をきらふ也、着をはなれたる僧は俗塵にまじりてもそまず何事をなすも自由にしてとゞまる所がない者也、諸道の達者、其わざ〱の上に付て、着がはなれずば、名人とはいはるまじき也、みがゝざる玖は塵ほこりが附也、みがきぬきたる玉は泥中に入てもけがれぬ也、修行をもつて、心の玉をば、みがきてけがれにそまぬ樣にして、病にまかせて、心をすてきつて、行き度樣にやるべき也。僧問古德、如何是道、古德答曰ク平等心是道。
現代語訳
答えて言います。初重と後重と二つを立てたのは、この用のためです。初重の心持ちを修行して、修行が積もれば、着を去ろうと思わずに、ひとりでに着が離れます。病気というのは着のことです。仏法では深く着を嫌います。着を離れた僧は、俗塵に交じっても染まらず、何事をなすのも自由で、留まる所がありません。諸道の達者も、その技の上に着が離れなければ、名人とは言われないでしょう。磨かない玉は塵や埃が付きます。磨き抜いた玉は、泥の中に入っても汚れません。修行によって心の玉を磨いて、汚れに染まらないようにして、病にまかせて、心を捨て切って、行きたいようにやるべきです。僧が古徳に問う、「道とは何か」。古徳が答えて言う、「平等心是れ道」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『兵法家伝書』殺人刀「着をはなれる(平等心是道)」右の話諸道に通じたる道理也、道とは何たる事を云ぞととへば、常の心を道と云也と答へられたり、實に至極の事也、心の病皆去て常の心に成て、病と交りて、病なき位なり、
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『兵法家伝書』殺人刀「病をさる後重」後重 後重には一向に病をさらんと思ふ心の無が病をさる也、さらんとおもふが病氣なり、病氣にまかせて、病氣のうちに交て居が病氣をさつたる也、病氣をさらんとおもふは病のさらずして、心にある故なり、しからば一圓病氣がさらずして、する程の事おもふ程の事が、着してする事勝利あるべからず、いかんが可心得ぞや、
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『兵法家伝書』殺人刀「病をさる初重」一 病をさるに初重後重の心持有事 病をさる初重 涉念無念涉着無着、此心は病をさらんとおもふは念也、心にある病をさらんと思ふは涉念なり、又病と云も一筋におもひつめたる念也、病をさらんとおもふも念也、しかれば念を以て念を去る也、念をさればば無念也、こゝを以て涉念無念と云也、念に殘たる病を、念を以て去れば、後はさる念もさらるゝ念もともになくなる也、以撅拔撅と云ふは此事也、ぬけぬ撅を又同撅を打こめば、くつろぎて撅かぬくる也、ぬけぬ撅がぬくれば、後に打こみたる撅もあとには不殘也、病氣が去れば、病氣を去る念もあとには殘らぬ程に涉念無念云也、病氣をさらんとおもふは、病氣に着した物なれども、以其着病を去ば着も不殘程に涉着無着とは云也
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『兵法家伝書』殺人刀「鏡の胸の内(平常心)」道とて何にても一筋是ぞとて胸におかば道にあらず、胸に何事もなき人が道者也、胸には何事もなくして、又何事成ともなせば、やす〱と成なり、鏡の常にすんで何のかたちもなき故に、むかふ物のかたち何にてもうつりて明らかなるがごとし、道者の胸の內は、鏡のごとくにして、何もなくして明なる故に無心にして一切の事、一も闘事なし、是唯平常心也、此平常心を以一切の事をなす人を人是を名人と云也、よろづをなすに、なす心をたゞしく持てなす心を外へちらさずして、一すぢに其事をなすに、しどろもどろにして、一度はなす事よく、よきかとおもへば又一度は卽あしく、或は兩度よく、又一度あしく、よき事兩度に成て、あしき事一度に成たると悦びぬれば又あしき事、兩度に成一切不定是其よくせんとおもふ心にてする故也、いつとなく功つもり稽古かさなれば、はやよくせんと思ふ事そゝとのきて何事をなすとも、おもわずして無心無念に成て、木でつくりたる道幸の坊が曲するごとくに成たる位也、此時我もしらず、心になす事なくして、身手足がする時、十度は十度ながらはづれず、其間にもいさゝかにも、心にかゝりたれば、はづるゝ也、無心なる時皆あたる也、無心とて一切心なきにあらず、唯平常心也
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『兵法家伝書』殺人刀「習いて習いなきに至る」兵法の道是にて心得べし、百手の大方をならひつくし、身がまへ目付ありとあらゆる習を能々習ひつくして稽古するは致知のこゝろ也、さてよく習をつくせば、ならひの數々胸になく成りて、何心もなき所、格物之心也、様々の習を盡して習稽古の修行功つもりぬれば、手足身に所作はありて心になくなり、習ひをはなれて習にたがわず、何事もするわざ自由也、此時は我が心いづくにありともしれず、天魔外道も、我が心をうかゞひ得ざる也、此位にいたらん爲の習ひなり、得たれば又習はなく成也、是が諸道の極意向上也、ならひをわすれ心を捨きつて一向に我もしらずしてかなふ所が道の至極也、此一段は習より入てならひなきにいたる者也
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『兵法家伝書』殺人刀「病氣」一 病氣之事 かたんと一筋におもふも病也、兵法つかはむと、一筋に思ふも病也、習のたけを出さんと一筋におもふも病、かゝらんと一筋に思ふも病也、またんとばかりおもふも病也、病をさらんと一筋におもひかたまりたるも病也、何事も心の一筋にとゞまりたるを病とするなり、此樣々の病皆心に有なれば、此等の病を去て心を調る事也
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