兵法家伝書 / 殺人刀病をさる初重
一 病をさるに初重後重の心持有事 病をさる初重 涉念無念涉着無着、此心は病をさらんとおもふは念也、心にある病をさらんと思ふは涉念なり、又病と云も一筋におもひつめたる念也、病をさらんとおもふも念也、しかれば念を以て念を去る也、念をさればば無念也、こゝを以て涉念無念と云也、念に殘たる病を、念を以て去れば、後はさる念もさらるゝ念もともになくなる也、以撅拔撅と云ふは此事也、ぬけぬ撅を又同撅を打こめば、くつろぎて撅かぬくる也、ぬけぬ撅がぬくれば、後に打こみたる撅もあとには不殘也、病氣が去れば、病氣を去る念もあとには殘らぬ程に涉念無念云也、病氣をさらんとおもふは、病氣に着した物なれども、以其着病を去ば着も不殘程に涉着無着とは云也
新字:一 病をさるに初重後重の心持有事 病をさる初重 渉念無念渉着無着、此心は病をさらんとおもふは念也、心にある病をさらんと思ふは渉念なり、又病と云も一筋におもひつめたる念也、病をさらんとおもふも念也、しかれば念を以て念を去る也、念をさればば無念也、こゝを以て渉念無念と云也、念に残たる病を、念を以て去れば、後はさる念もさらるゝ念もともになくなる也、以撅抜撅と云ふは此事也、ぬけぬ撅を又同撅を打こめば、くつろぎて撅かぬくる也、ぬけぬ撅がぬくれば、後に打こみたる撅もあとには不残也、病気が去れば、病気を去る念もあとには残らぬ程に渉念無念云也、病気をさらんとおもふは、病気に着した物なれども、以其着病を去ば着も不残程に渉着無着とは云也
書き下し
一 病をさるに初重後重の心持有事 病をさる初重 涉念無念涉着無着、此心は病をさらんとおもふは念也、心にある病をさらんと思ふは涉念なり、又病と云も一筋におもひつめたる念也、病をさらんとおもふも念也、しかれば念を以て念を去る也、念をさればば無念也、こゝを以て涉念無念と云也、念に殘たる病を、念を以て去れば、後はさる念もさらるゝ念もともになくなる也、以撅拔撅と云ふは此事也、ぬけぬ撅を又同撅を打こめば、くつろぎて撅かぬくる也、ぬけぬ撅がぬくれば、後に打こみたる撅もあとには不殘也、病氣が去れば、病氣を去る念もあとには殘らぬ程に涉念無念云也、病氣をさらんとおもふは、病氣に着した物なれども、以其着病を去ば着も不殘程に涉着無着とは云也
現代語訳
病を去るのに、初重と後重の心持ちがあるということ。病を去る初重は、涉念無念、涉着無着です。この心は、病を去ろうと思うのは念です。心にある病を去ろうと思うのは涉念です。また、病というのも、一筋に思い詰めた念です。病を去ろうと思うのも念です。そうであるなら、念をもって念を去るのです。念を去れば無念です。ここをもって涉念無念と言います。念に残った病を、念をもって去れば、後は去る念も去られる念もともになくなります。「以撅抜撅」と言うのはこのことです。抜けない撅を、また同じ撅を打ち込むと、緩んで撅が抜けます。抜けない撅が抜ければ、後に打ち込んだ撅も、あとには残りません。病気が去れば、病気を去る念もあとには残らないので、涉念無念と言います。病気を去ろうと思うのは、病気に着したものですが、その着した病をもって去れば、着も残らないので、涉着無着とは言うのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『兵法家伝書』殺人刀「病をさる後重」後重 後重には一向に病をさらんと思ふ心の無が病をさる也、さらんとおもふが病氣なり、病氣にまかせて、病氣のうちに交て居が病氣をさつたる也、病氣をさらんとおもふは病のさらずして、心にある故なり、しからば一圓病氣がさらずして、する程の事おもふ程の事が、着してする事勝利あるべからず、いかんが可心得ぞや、
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『兵法家伝書』活人劔「一去(心のとどまりは病)」一 一去と云心持之事 一 空之心持之事 一 捧心之心持之事 右一去と云心は、數々を一ッに去ルと云心也、數々とは病の數々也、病とは心の病也、心に有ル程の病の數々を一ッにして、はらりと去也、病のかず〱は別の卷にしるす也、凡病とは心のとゞまるを云也、佛法に是を着とて以ノ外きらふ也、心が一所に着しとゞまれば、見る所を見はづし、思の外に負を取る也、心のとゞまるを病と云也、此病の數々を一ッにひつくゝつて去れと云心に、一去と云也、數々の病を一去して、唯一を見はづさぬ樣にと也、
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『兵法家伝書』殺人刀「病氣」一 病氣之事 かたんと一筋におもふも病也、兵法つかはむと、一筋に思ふも病也、習のたけを出さんと一筋におもふも病、かゝらんと一筋に思ふも病也、またんとばかりおもふも病也、病をさらんと一筋におもひかたまりたるも病也、何事も心の一筋にとゞまりたるを病とするなり、此樣々の病皆心に有なれば、此等の病を去て心を調る事也
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『兵法家伝書』殺人刀「初重後重の用」こたへて云ク初重後重と二ッたてたるは此用なり、初重の心持を修行して、修行積ぬれば、着をさらんとおもわずして、ひとり着がはなるゝ也、病氣と云は着なり、佛法に深く着をきらふ也、着をはなれたる僧は俗塵にまじりてもそまず何事をなすも自由にしてとゞまる所がない者也、諸道の達者、其わざ〱の上に付て、着がはなれずば、名人とはいはるまじき也、みがゝざる玖は塵ほこりが附也、みがきぬきたる玉は泥中に入てもけがれぬ也、修行をもつて、心の玉をば、みがきてけがれにそまぬ樣にして、病にまかせて、心をすてきつて、行き度樣にやるべき也。僧問古德、如何是道、古德答曰ク平等心是道。
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『兵法家伝書』活人劔「水月・神妙劔・病氣・身手足の分別」一 水月神妙劔病氣身手足此四の分別 一 水月は立合ノ場の座取也 一 神妙劔は身の內の座取也 一 身手足は 一 敵のはたらきを見る 我身のはたらき 一 去病は手利劔を見む爲也 右しかれば極る所と、手利劔の有無を見る事專一なり、四は大體也、病をさる手利劔見む爲也、病ひさざれば、かならず病にとられて見そこなふなり、見そこなへば負なり、病とは、心の病也、心の病とは心のそこ〱にとまるを云也、心を一太刀うつた所にとゞめぬ様にすべし、心をすてゝすてぬ也
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『兵法家伝書』殺人刀「木人如對花鳥」木人如對花鳥 是麗居士がこと葉なり、木で作たりたる人の、花鳥にむかひ居たるが如くと也、目は花鳥にあれども心花鳥にうごかざる尤道理あり、心ある人として、木人のごとくならん事いかにとしてなるべきぞや、木人とはたとへなり、心ある人として木とひとしくはあるべからず、人として竹木のごとくにはあるべからず、花を見るとて、花見る心を生して見ざる也、たゞ常の心にて無心に見るを云へり、弓射る時弓射る心をあらたに生して射ざる也、常の心にて射るを云へり、常の心を無心とは云也、常の心をかへて新たに生ずれば、形もあらたまる程に內外ともにうごく也、動轉する心にて、万ッをなさば何事も不可然也、一言を云へども、動轉せぬ云樣かなとこそ、人をば褒美する物なれ、諸佛の不動心といへる事、實に殊勝に覺ゆ 右之兩條は兵法の病氣をさると云心持にあて用る事也
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