葉隠 / 聞書第十一
定家卿傳授に、歌道の至極は身養生に極り候由。端的の善行は朝起に極るべく候。古老は夜内に起き、一日の所作を日の出前に仕舞ひ候。「子に伏し寅に起く。」とも、「巳に鳴いて忠臣朝を待つ。」とも、「一日の計は鷄鳴にあり。」ともいへり。
新字:定家卿伝授に、歌道の至極は身養生に極り候由。端的の善行は朝起に極るべく候。古老は夜内に起き、一日の所作を日の出前に仕舞ひ候。「子に伏し寅に起く。」とも、「巳に鳴いて忠臣朝を待つ。」とも、「一日の計は鶏鳴にあり。」ともいへり。
書き下し
定家卿(ていかきょう)傳授(でんじゅ)に、歌道の至極(しごく)は身養生(みようじょう)に極り候由。端的(たんてき)の善行は朝起(あさおき)に極るべく候。古老は夜内(よのうち)に起き、一日の所作を日の出前に仕舞ひ候。「子(ね)に伏し寅(とら)に起く。」とも、「巳(み)に鳴いて忠臣朝を待つ。」とも、「一日の計は鷄鳴(けいめい)にあり。」ともいへり。
現代語訳
藤原定家卿の伝授によれば、歌道の究極は身の養生に尽きるという。手近で確かな善行は、早起きに極まる。昔の老人たちは夜のうちから起き、一日の仕事を日の出前に片づけていた。「子の刻(夜半)に寝て寅の刻(夜明け前)に起きる」とも、「巳の刻に鶏が鳴くのを、忠臣は朝を待つ心で聞く」とも、「一日の計画は鶏の鳴く早朝にある」とも言われている。
解説
歌道の奥義さえ「身の養生」に行き着くとし、その最も確かな実践が早起きだと説く一条です。特別な修養より、まず健康と規則正しい生活を整えることが土台だという、地に足のついた処世観が示されています。昔の人は夜明け前に起き、日の出までに一日の段取りを終えていた、と早朝の効用を並べます。「一日の計は鶏鳴にあり」という言葉は、一日の成果が朝の過ごし方で決まることを端的に伝えます。現代でも、早起きと生活リズムの安定が心身の充実や仕事の質を支えるのは変わりません。壮大な理想より、まず日々の健康と早起きから、という実践的な生活の知恵を伝える言葉です。
この章句が説くこと
葉隠定家身養生早起き一日の計生活習慣
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