葉隠 / 聞書第一
内にても外にても膝を崩したる事なし。物をいはず、言はで叶はざる事は、十言を一言で濟ます樣にと心掛けしなり。山崎藏人など斯くの如きなり。
新字:内にても外にても膝を崩したる事なし。物をいはず、言はで叶はざる事は、十言を一言で済ます様にと心掛けしなり。山崎蔵人など斯くの如きなり。
書き下し
内(うち)にても外(そと)にても膝を崩したる事なし。物をいはず、言はで叶はざる事は、十言(じゅうごん)を一言(いちごん)で済ます様にと心掛けしなり。山崎蔵人(やまざきくらんど)など斯くの如きなり。
現代語訳
家の中でも外でも、くつろいで膝を崩すようなことはなかった。むやみに口をきかず、どうしても言わねばならないことは、十の言葉を一言で済ませるように心がけていた。山崎蔵人などはこのような人であった。
解説
常に姿勢を正し、言葉を切り詰めた武士の律し方を伝える一節です。人目のある外だけでなく、くつろげる家の中でも膝を崩さなかったという逸話は、緊張感を絶やさない自己統御の徹底を示します。また、無駄口を避け「十言を一言で済ます」姿勢は、言葉数の多さより一言の重みを尊ぶ『葉隠』の言葉観と重なります。多くを語らないからこそ、その一言に信が置かれるのです。現代の私たちが常時この厳格さを保つのは難しいでしょうが、人が見ていない時ほど姿勢が問われること、そして饒舌よりも要点を絞った一言の方が伝わることは、今も学べる点です。自分を律する型を一つ持つ、という発想として受け取れます。
この章句が説くこと
自己統御姿勢寡黙一言の重み緊張感人が見ていない時
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